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『 トーキング・ジャグラー 』
日差しも暖かみを増してきた頃、中間テストを終えた生徒達は、頭を休めるために遊びに行くか、もしくは雑談に勤しむため、
カフェに向かうか、おおよそそのどちらかだった。後者を選択した雪広あやかのグループが、室内の六人掛けの椅子に腰掛
けると、同じクラスのよしみで、という理由でチアの三人グループが強引に残りの椅子を占領しに訪れた。
マナーに厳しい家柄、小さい頃から礼儀を躾られてきたあやかは、その強引な席取りに一瞬顔をしかめたものの、テストが
終わって気の抜けた同じクラスメートに説教を垂れるような野暮な事はしなかった。
「危ない危ない、あやうく立ち食いランチになるとこだった」
大げさに汗を拭う仕草であやかに感謝の言葉を贈った円に、桜子が続く。
「ホント、助かったよ〜。いいんちょ、ありがとね」
「全く、あなたたちは落ち着きのない」
「まぁまぁ、テストも終わったんだし、みんな落ち着いたところで食べたいのよ」
あやかの右隣にランチセットを置いた千鶴も、やはり同じ様な事を考えていたらしい。
「分かってますわ。別にマナーをうるさく言うつもりはありませんが、もう少しレディーとして意識を高く持って欲しいと思って
いるだけです」
夏美は苦笑いを浮かべていたものの、あやかのそういう考え方が嫌いではなかった。包容力のある二人に囲まれて生活し
ていると、女性としての魅力の差をはっきりと実感できてしまうのだ。しかし、それは夏美の目標でもあり、役者として学ぶべ
きところでもある、とも考えていた。
「そういえばいいんちょ、大丈夫? 朝から体調良くなさそうだったけど」
あやかはあまり人に弱い面を見せないタイプで、こんな事を聞いても、大丈夫、と返ってくるだけなのだが、それでも夏美は
千鶴と同じく、心配せずにはいられなかったのだ。
「あんまり無理しちゃダメよ、あやかったら私の知らないところで勝手に風邪なんて引いちゃうんだから」
「別に、風邪くらいどこで引いたっていいじゃない」
柿崎がサンドイッチを頬ばりながら、あやかの顔色をそれとなく伺うが、別段いつもの変わったところは見られない。
「風邪、という訳ではないのですが……。貧血かもしれません。体調には気をつけているつもりなのですが」
あやかが適当に思いついた症状を口にした。貧血の症例に詳しい訳ではないが、本当にさほどの実感もなく、友達にも心
配されたくなかったので、当たり障りのない名前で誤魔化した。
「それよりチアのみなさん、テストは出来たのですか。ネギ先生のお身体が懸かっている訳ではないとはいえ、サボっていい
という訳ではございませんことよ?」
「いや、懸かってたのは身体じゃなくて、首でしょ」 円にそう指摘され、今度は咳払いで誤魔化した。
あやかは学校の雰囲気が嫌いではなかった。馬術部も華道部の活動も、今日はない。しかし、テストが終わったからといっ
て急いで帰宅しようとも思わず、だから何とはなしに千鶴達に先に帰るよう促した。
屋上へ向かおうとした階段の辺りで、ザジ・レニーディという生徒の後ろ姿を見つける。どうやら彼女と目的地は一緒のようだ。
何となく、気になってはいたのだ。彼女はエヴァンジェリンとは違って、相手を毒づくでもなく、特に態度に問題がある訳でも
ない。ただ、ひたすらに無口なのである。千鶴の影響かどうかは分からないが、あやかはそういう生徒を放っておける性格で
はなかった。
屋上の扉を開けると、取り分け肌寒さを感じるわけでもなく、他に生徒の姿もない。静かで心地の良い風が頬を撫で、視界を
塞ぐ髪を後ろに掻き分けると、そこにはザジがただ一人、屋上の縁に座って、遠くの方を眺めているだけだった。
「こんにちは、ザジさん」
一応、今まで何度か話し掛けてはみたが、ザジは話を聞いているのかいないのか、何も答えてくれない事がしばしばあった。
必要な事にはある程度応じてはくれるのだが、それでも対話になった事は殆どない。そんなやりとりを何度か繰り返していた
せいか、いつもと少し表情が違うような気がした。遠くを眺める瞳が、どこか憂いを帯びている。
「どうかなさったんですか?」
ザジの正面に回り込んで顔を覗き込むと、見下ろされたような格好になり、少しばかり威圧感を感じてしまう。瞳が潤んで見え
るのは、太陽光のせいだろうか。ザジは何かを訴えるような目でこちらを見返すと、急に瞳孔を大きく広げ、後方に後じさって
頭を抱えた。慌てて駆け寄ると、そのままあやかの腕の中に倒れ込むようにして身体を預けてきた。仰向けにして呼びかけて
も返事はなく、気を失っているのか、瞳は閉じられていて、腕はだらりと地面に向かって垂直方向を指している。
何が起こったのか判らず、あやかは取り敢えずザジを抱えて保健室へと向かった。
「貧血じゃないかしら」
保険医であるしずなは、ザジの額に手を当て、熱がないことを確認しながらそう言った。
「まぁ……流行ってるのでしょうか」 貧血に流行りもなにもない事は分かっていたのだが、自分が先程使った言い訳が脳裏に
浮かび、自然とそんな事を聞いていた。
「さぁねぇ。最近の子は栄養取らないとは言うけど、別に運動してない訳でもなさそうだし……。無理なダイエットでもしたんじゃ
ないかしら」
ザジがダイエットに励む姿など想像もできなかった。想像してみたら、それはそれで微笑ましい。
あやかはベッドで静かに寝息をたてているザジに、しばし見入った。無口な人間は何を考えているか解らない。取り分け、ザジ
にはどこか人間離れした雰囲気が漂っており、今までも、話し掛けるのには心のどこかでブレーキが掛かっていたように思う。
そんな抵抗が少なからずあったが、こうして見ていると、寝顔は可愛い。間近で見ると意外にも童顔で、余分な肉が一切付いて
ない流麗な腕は、バレリーナを思わせた。
あやかはそれから暫くしずなと雑談を交わし、ネギの事やこの学園の事、学園長のセクハラや、女同士でしかできない女性の
身体の話を、それなりに楽しみながら時間を潰した。
ザジが目覚めたのは、しずながぬるくなった紅茶を入れ直した頃で、時計の針は三時を五分過ぎていた。上体を起こしたザジ
は、眠たそうに瞼を擦り、辺りを見回しながら状況を把握しようとしている。
「お身体の調子はいかがですか、ザジさん」
あやかはザジのベッドの側まで行ってしゃがみ込み、ザジの顔を再び覗き込んだ。
「ありが……とう……」
「どういたしまして」 驚いた顔のザジに軽くお辞儀をして、そう答えた。
もしかしたら、自分が顔を覗き込んだせいで倒れてしまったのではないか、とあやかは心配したが、ザジから普通に感謝の言
葉が出てきて安心する。
ザジはどちらかといえば無表情な顔を保っていたが、まだ体調が回復していないのか、ベッドから降りた瞬間に膝から地面に
崩れ落ちそうになったのを、あやかに受け止められた。
「無理しちゃ駄目よ。まだそんなに遅い時間じゃないし、もう少し休んでいったら?」
しずなの言葉を聞いているのかいないのか、ザジからの返事はなかった。
「私と一緒に帰りましょう。車を寄越してもらいますから、もうしばらくお待ちください」
あやかが自宅に電話をかけようとするのを、ザジの手が拒否する。
「いい……」
「そ、そうですか……」
ザジはまだよろよろとしていて、足下がおぼつかない。心配したあやかは、いつでもザジを支えられるようにと、一緒に着いて
帰ることにした。
寮に着いてザジと別れてから、再び出会うまでにそう時間はかからなかった。大浴場へ向かう途中、廊下で座り込んでいる彼
女を発見したのである。遊んでいるにしては、ジャグリングをしているザジの表情は、今日の午後に見た憂鬱な雰囲気を保っ
たままだった。
「ザジさん……お部屋に戻りませんの? 何故そのようなところで……」
寂しそう、というよりは、つまらなそうな印象を受けた。彼女は、無口な割には人前に立って手品を披露することが結構あった
し、一人で練習している時も、こんなつまらなそうな顔を見たことはない。もしかしたら自分が思っている以上に、ザジは他人
に見てもらう事に喜びを感じているのかもしれない、とあやかは推測した。
「何か、見せていただけますか?」
足を地べたに放り出したザジと目線を合わせるように、屈んだ。視線が合うと、少し照れくさいが、ザジはとても興味深そうな
顔で、瞳の奥の光を返してくれる。
ひょいひょいと、慣れた手つきでジャグリングが始まった。手に持った三本の白銀色の棒を、目の前で器用に放り投げている。
くるりと回ってこちらに背中を見せ、連続した背面キャッチが続く。足の下をくぐらせ、あらぬ方向に飛ばしたスティックを華麗に
キャッチして見せた。すると今度は、三本の棒を同時に投げ、空中で掴んでは放して、描く軌道を常に一定に保っている。
プロのパフォーマンスは何度も見たことがある。それなのに、あやかには味わったことのない新鮮な驚きが渦巻いていた。
まさにバレリーナを思わせるその動きは、これまでに見たどんなものよりも、華麗だった。踊っているのか、楽器を演奏してい
るのか、錯覚を起こさせるほど芸術的な、いや、芸術そのものの動きだった。
最後にザジは、あやかに手を出させて、その周りでスティックを回した。
「いきます」
その一言で、手の回りのスティックが消え去った。ふと上を見上げると、一本だけゆっくりと回転しながらあやかの掌の上に落
ちてくるものがある。キャッチするのはとても簡単だった。ザジが扱っているのだから、当然キャッチできる。そう思えた。
ザジはあやかの掴んだ棒を、自分の手持ちのもので弾くと、最後にそれをキャッチしてポーズをとった。
演目は終了ですよ。それは、無言のザジから聞こえた。
「す……素っ晴らしいですわ!」 あやかがはしゃいでザジの腕をぶんぶんと振る。
「わたくし、今まで見た手芸の中で一番感動いたしましたわ! 素晴らしいです。本当に、ええ、本当に!」
ザジが喜んでいる。ように見えた。
「そういえば今まで、ザジさんの手芸をあまりまともに見たことはありませんでしたわね」
そこであやかはふと気付いた。ザジはこうやって、あまり喋らない自分と他人と、心を通じ合わせているのではないのか。
無口な人間は何を考えているのか分からない、というのは誤解だ。私が知ろうとしていなかったのだ。彼女の伝える手段を。
ザジと一緒に大浴場へと向かうことにしたあやかは、無理に彼女の口を開かせようとはしなかった。自然に話してくれるのを
待つことにしたのである。
「それでお姉さまったら、『あなたにはまだ早い』 だなんて言うんですのよ?」
「……」
ザジはあくまで無言を貫いていたが、鬱陶しがってあやかを振り切ろうとする素振りはなかった。だから、強制的に聞こうと
はしないものの、あやかはここまできたら何としてでも聞いてやる、と息巻いていた。
しかし、そんなザジの表情が変わったのは、大浴場に人影が見えた直後だった。
「あれは……長谷川さん? そういえば、ザジさんは長谷川さんと同室でしたわね」
ザジの表情が僅かに堅くなったのをあやかは見逃さなかった。もしかして、原因はその辺りにあるのではないか、と予測を立て
る。千雨の方もこちらに気が付いた様子だったが、彼女はいつもの無愛想な表情で、別にこちらを気に留めるでもなく、少し離
れた場所で湯船に浸かった。
「あら長谷川さん、珍しいですね、こんな時間に。いつもはあまり大浴場では会いませんのに」
喧嘩でもしたのだろうか。普段大浴場ではあまり会う機会のない彼女は、もしかしたらザジと会うのを避けるためにこの時間
を選んだのではないか。ザジとの時間をずらしたつもりだったが、残念ながらザジの方も、いつもの時間ではなかった。
千雨はあやかの質問には答えず、顔を背けて気付かないふりをする。
あやかは千雨とザジを無理矢理にでも引き合わせて仲を取り持とうとしたが、やめた。人間関係はそう簡単ではない。
とりわけ、クラスでもかなり特殊な二人だ。事情すら聞いていないのに、勝手な真似はよくない、と自分に言い聞かせた。
言い聞かせた筈だったのだが、あやかが千雨の部屋に上がり込むまでには、そう時間はかからなかった。
「千雨さん! 開けなさい、千雨さん!」
「な、なんだよ、うるせぇな」
入口から体を半分覗かせた千雨の着衣は乱れていて、ザジには千雨が今まで何をやっていたのかすぐに理解できたのだが、
あやかはそんな事はお構いなしに続けた。
「一体どういうつもりなんですか!? ザジさんを部屋から閉め出すなんて!」
「別にあたしが閉め出したわけじゃねぇよ! そいつが勝手に……」
「言い訳無用! 上がらせていただきますわよ!」
「わ、ちょ、ちょっと待て!」
「何をコソコソとやっているんですか! 上がりますわよ!」
あやかが無断で入ろうとするのを、握っていたザジの手が引き止めた。
「ダメ……準備中……」
「準備中?」
*
ほどなくして千雨は、乱れた衣服を整えながら不機嫌な顔で二人を招き入れ、テーブルを挟んで面倒臭そうに二人と向かい
合った。
「一体、何があったんです?」
「委員長には関係ねぇよ」
「関係ない事ありますか! 私は委員長ですわよ」
「だから関係無いんだっての!」
「あります!」
千雨が敵意をむき出しにしてザジを睨み付ける。
だから嫌だったんだ。言えるわけないだろ、あんな事。そんな感情が籠もっているのは、ザジにも解った。
実際、説明のしようがない。説明したくないのではなく、できないのだ。オカルトの類を信じていない千雨にとって、一連の出来
事をどう説明してよいのかが分からなかった。
「……あーもう! 分かったよ! ホラ、仲直り」 千雨がザジをぐいと引き寄せ、無理矢理肩を組んだ。「これでいいだろ?」
ザジも千雨同様照れくさそうにしていたが、あやかへの疑いは晴れず、今だ疑惑の眼差しを買っている。
「何かあやしいですわね……」
「別にあやしくないって……」
「決めましたわ」
「な、何を……」
あやかが立ち上がって二人を指差す。
「今夜一晩、本当に仲直りなさったのか、ここでお二人を監視いたします」
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