「明日は…多分、大丈夫」
ザジのその言葉を聞いたあやかは、安堵の溜息を吐いた。一気に肩の重みが降りた気になる。しかし、千雨はどこか煮え切
らない面持ちで、ザジの出した答えに疑問を持っていた。今まではそれとなくザジの答えに従っていたのに、今回は何かが
違う。反発心の様な、曖昧な答えに対する疑念が、腹の底に渦巻いていた。
「なあ、ザジ……本当に、明日は大丈夫なんだな?」
勿論、今までだって確証があった訳ではないし、ザジだって『多分』とは付け加えている。それでも、一度も外れた事は無
かったし、これからもそれはないだろうと考えていた。それなのに、そう尋ねずにはいられない。ザジは、そんな千雨の疑心
めいた問いに戸惑い、何を言おうか迷っている。
「千雨さん、あなたが外れた事はないと、念を押して下さったのではないですか。何故今更その様な事をおっしゃるのですか?」
「いや、まあ、確かにそうなんだけど……」
疑念は晴れないまま、店を出る。雰囲気が重くなっていた事に気付いて、千雨は自分の言った言葉を後悔した。折角あやかが
安心していた所に水を差した上に、ザジの言葉まで疑ってしまったのだ。原因は間違いなく自分にある。
「あ、ご、ごめん、ザジ。別に、疑ったわけじゃねぇんだ」
「……」
「あ…その、悪かった、疑って。マジで、ごめんってば」
「じゃあ……コスプレ……」
「は……?」
「罰ゲーム……」
「それは……無しにしないか……」
あやかが吹き出した所で、ザジが二人の手を取って走り出した。きっとザジは、委員長の笑顔が見たかったに違いない。
それがザジの判断ミスに繋がった事は、この時考える余裕はなかった。
「龍宮さん、巫女のアルバイトもやってるんですよね?」
「ああ。大変だぞ?舞いや、歌、楽器の演奏、お茶…習い事ばっかりだな。年末年始は行事の手伝いやら準備やらで、
異常に忙しいし。まあ、専属の巫女よりはマシだけど」
「へぇえ……凄い。それで、妖怪退治の仕事もやってるんですか。何か、そういう行動的なのって……憧れちゃいます」
「はは…君もやってみるといい。体力つくぞ?」
電車を降りて、寮まで並んで歩いた。のどかには、普段自分が身を置いているグループ以外のクラスメートと話した新鮮さが
溢れていた。臆病で、引っ込み思案。本好きという目立たない趣味は、気付かない内に、グループから外れる事を恐れさせる
要因になっていたのではないか、という疑いさえ持った。
寮の部屋に戻るため、ここで別れなければいけないのに、まだ話していたい。麻帆良学園に入ったばかりの、初めて友達が
出来た時の懐かしい感覚が甦った。
「それじゃあ、今日は楽しかったです」
「ああ、私もだよ。久しぶりに本が読みたくなった。またな」
「あの……」
「うん? 何だ」
「もし、年末年始、巫女のお手伝いが足りなくなったら、私、手伝わせてもらってもいいですか?」
「ああ。勿論だよ」
龍宮に手を振る。龍宮もそれに答える様に、振り向きざま手を振ってくれた。私もあんな風に強く、格好良くなれたら。
ネギ先生に対してどうこうではなく、人としてこうありたい、という憧れの同い年を、初めて見つけた。
やっと覚えた。これさえあれば、僕もエヴァンジェリンさんの所に行ける。エヴァンジェリンの作成した空間転移様の巨大魔
法陣から、系統を割り出し、図書館島の地下に潜り込んでメルキゼデクの書を開いた。丸一日割いて、昨日彼女が唱えた呪文
を暗記する。戻ってこないって事は、きっと何か大変な目にあってる筈だ。生徒が困ってるなら、僕が助けなきゃいけない。
エヴァンジェリンの別荘の近くにある空き地へと急いで戻る。呪文詠唱に何時間ぐらいかかるだろう…。授業を放り出して勝
手に自習にしたから、きっとみんな怒ってるんだろうな。
外はもう暗くなっていたが、上空から辛うじて、空き地とそこに書かれた巨大魔法陣を見つけ、ネギは安堵の溜息を吐いた。
雨でも降ってたら一から書き直さなきゃならない。今は一刻も早くマスターの身の安全を確かめたかった。魔法陣の中心に
降り立ち、呪文詠唱を開始する。詠唱から2時間にして、ようやく半分程詠唱を終え、魔法陣が光り始めた頃、誰かが近付い
て来るのが分かった。マズい。ここで止められたら、今までの労力が無駄になってしまう。
足音は、魔法陣の中心を走って来たかと思うと、ネギを抱き上げて詠唱を中断させた。
「止めるんだ、ネギ君!!」力強い両腕に、ネギの身体は軽々と抱きかかえられる。
「タカミチ! どうしてここに!?」
「授業を放ったらかして、魔法を覚えるとは、いかんのう」タカミチとは対照的に、学園長はゆったりとした歩幅でネギに歩み
寄る。
「離してよタカミチ! 僕が行かなきゃ、マスターが危ないんだ! どんなに危険だって言われても、僕が助けなきゃいけない
んだ! あんな話聞いて、黙って見ていられるわけないじゃないか!!」
ネギがタカミチの腕の中で暴れるが、腕は固く組まれていて、とてもネギの力では外れそうにない。
取り乱しているネギを、タカミチが優しく諭す様に言った。
「落ち着くんだ、ネギ君。いいかい? よく聞いてくれ。今、君がやろうとしている事は、敵に協力しているに等しいんだ」
「本部から連絡が入ってのぅ。どうやら、既存のウィルスではないという事が分かったんじゃ」
「どういう事ですか……それがどうして、僕が敵に協力する事になるんですか!?」
「ウチの生徒と全く同じ症状が見つかってのぉ。一流の回復術者が、全く同じ魔法陣で入っていったんじゃが……何故か戻って
来んくてのぅ。色々調べて、どうやら移動の際に魔力を丸ごと吸い取ってしまうトラップが仕掛けてあったそうなんじゃ。
つまり、膨大な魔力を持っているネギ君が行くと、更に大変な事になってしまう、という事じゃのぅ。今、本部が必死で解決
策を探してるんじゃが、症例があちこちで見つかって、こっちに手が回せない状況なんじゃ。ウチには魔法使いもいるしのぉ。
今はエヴァちゃんと超を信じて待つしかないんじゃよ」
「そんな……だって、それじゃあ、何が起こるか解らないって事じゃないですか! それなのに、僕は黙って見ていろって
言うんですか!?」
「気持ちは分かるよ、ネギ君。僕だって同級生が苦しめられているのを黙って見ているのは悔しい。だから、解決策が見つかった
時はさ。一緒に敵をボコボコにしてやろう。な? だから、今は耐えよう。僕達はこの“黙って見ているしかないつらさ”に
耐えるんだ」
『turn 2 the dark』
「決まったね〜」チアの応援で最後のポーズを決めた途端、桜子がそう判断した。「今のは良かったんじゃない?」
「そうだね、じゃあ今日はこれぐらいにしようか?」
美砂はさっきからずっとそんな事を言っている。早く終わらせたい、という気持ちが隠し切れておらず、そんな様子を
見抜いた円が、
「ちょっと美砂ぁ? さっきから今日のデートの事しか考えてないでしょ?」
「やだなぁ、そんな事ないって」
「顔がニヤけてるぞぉ」桜子は別に、円ほど美砂のデートに突っかかる気はないらしい。
「じゃあ、あと10回練習してこうか?」
「桜子ぉ、鬼がいるよぉ」
鬼教官円の練習から解放され、今日のデートコースはどうしようか、と考えを膨らませながら待ち合わせの場所へと向かうと、
既に彼は来ていて、退屈そうに足をぶらつかせながら、植え付けの花壇の縁に座っていた。
新宿で服を買い漁り、CDショップで円に頼まれていた物を買った。洒落た喫茶店で休憩がてら夕食を済ませると、彼との約束
で、サッカーの試合を観戦した。
デートコースなんて考えていてもどうせその通りにはならない。その行き当たり
ばったりを楽しむのがデートの楽しさでもある。
「こんな時間になっちゃったな。悪いね、明日学校あんのに」
「何言ってんの。あんただってそうでしょ」
こういうなんでもない気遣いをしてくれるのが、彼の良いところだと思っている。
次のデートはいつになるのだろうか。そんな期待感を胸に残しながら彼に別れを告げ、女子寮に着いた頃には深夜十二時を
五分も過ぎていた。
「管理人さん、ごめ〜ん!」
「円ちゃんからデートだから遅くなるとは聞いてたけど、ちょっと遅すぎるんじゃない?もう入寮時間とっくに過ぎてるよ」
「ごめんなさい。久しぶりのデートだったんだもん。時間のことすっかり忘れちゃってて」
「分かってるって。見逃してあげるから、早く入りな。ああ、大浴場にはもう入れないからね」
「は〜い! いつもありがとうね、管理人さん」
こんな時、いつも見逃してくれる管理人さんが好きだ五十代の、ハキハキとした気のいいおばさんで、入寮者からも評判が
いい。自室に戻ろうと階段を上がると、あやかがフラフラと出歩いているのを見つけた。あの真面目な委員長がこんな時間
に出歩くなんて珍しい。
「あれ、いいんちょ……どうしたの?」
あやかからの返事はない。代わりに、虚ろな視線をこちらに向けると、ゆっくりとした足取りで近づいて来る。
雰囲気がおかしい。人が沈み込んでいる姿とは違った、亡霊の様な憂鬱さと暗さを含んでいる。
唇に突然柔らかいものを押しつけられた。突拍子もないその行動に、一瞬何をされたのか理解が遅れた。驚いて離れた柿崎の
首が、あやかに掴まれる。女子中学生の握力ではなかった。
「や、め……」
唾液が口から溢れ、顎を伝う。叫ぶ暇もなく意識が遠のいて、そのまま床に倒れ込んだ。
「誰ですか、こんな時間に」
さっきから執拗に部屋をノックする音が聞こえる。こんな深夜なのだから、よほどの急用なのかもしれないが、それにしても
マナー違反だ。文句の一つでも言ってやろうと、夕映が扉を開ける。
一瞬、その人ではないかの様な佇まいにたじろいだ。しかしそこにいるのは、紛れもなく雪広あやかだった。廃人の様な眼差
しに、人間を超越したような雰囲気を醸し出している。これは、雪広あやかでもなければ、人間でもない。
「あの、なんでしょうか……こんな時間に……」
答えが返ってくる筈もない事は理解しているのに、何かを聞かなければならない気持ちに駆られ、ついそんな質問をしてしま
う。あやかは夕映には目もくれずに室内へと入り込み、のどかのいるベッドの方へ、ゆらりゆらりと歩を進める。ドアから差
し込む照明の光に、のどかが眩しそうに瞼を擦りながら体を起こした。起きたての目にぼんやりと人の姿が映る。後ろから入
り込んでくる光のせいで、誰だかよく分からない。
「誰……?」
目の前の影が手を伸ばし、顔を近づけると、口元に何かが触れた。かつて一度だけ味わった筈なのに、そんな感覚とは程遠い、
深いドブの底に引きずり込まれてしまうんじゃないか、という錯覚を起こさせる味だった。
それが何かに気付いた時にはもう、のどかの意識は、喋れる状態にはなかった。
「刹那……出てくれ……」
「なんで私が…」
刹那がベッドから起きあがり、渋々ドアの開放役を引き受けた。こんな時間に、マナー違反もいい所だと、ドアの鍵を開ける。
「いいんちょさん……?」
龍宮がその声を聞いてベッドから起きあがった。夢の事で何かあったのかと、あやかの方へ歩み寄る。
あやかがその場で倒れ込んだのを見て、慌てて抱き留めた。
「どうしたいいんちょ、何かあったのか?」
「あ……う………」
声が聞き取れるようにしたんだろうと、あやかが顔を近づけた事には何の違和感も感じなかった。
その一瞬の隙をあやかに奪われる。異変を感じ取った龍宮は、何が起こったのかを瞬時に理解し、あやかの手から逃れる。
口移しで、何かを入れられたのか。分からない、が、敵である事は間違いない。直ぐさまトイレに入り、内容物を吐き出す。
刹那もその異様な事態に気付いてあやかから離れる。
「龍宮……何が起こってるんだ」
「刹那……」
「……?」
「あんみつ屋は、返金を受け付けてくれると思うか?」
それから、龍宮が意識を失うまでには、そう時間はかからなかった。
「真名は、金の為ならなんでもやるアル」
「この状況を見ても、なんとも思わないでござるか」
「何であの人銃なんか持ってんの?」
「今までの全部龍宮さんがやったらしいよ」
「酷い…」
私を罵倒する声が聞こえる……。どうして私が責められているんだ……
確かに、私は金のためなら何でもするよ……でもな……
かつての戦場が見える。私の生まれた戦場が。私にはどうしても巨額の金が必要で、その為にならどんな仕事だってするし、
誰にだって従う。なのに、どうしてこんなに心苦しいんだ。まるで、身体も心も、自分のものではないみたいだ。
目覚ましが鳴る。酷い夢を見せられていた様で、体も怠く、寝覚めが悪い。そういえば昨日の夜、妙な事があって、直後、急
に眠気が襲って来たのを思い出した。だが、何があったかまでは判然とせず、頭に靄がかかったような、嫌な感じがある。
自室を見回してみると、ルームメイトの刹那は既におらず、目覚ましを止めた後の静けさだけが、部屋を満たしていた。
ベッドから体を起こし、朝食のパンを焼く。朝からこんなに食欲がないのも珍しい。まるで魔力が丸ごと吸い出されてしまっ
たかの様に気だるく、動きが緩慢になっている。風邪でもひいたかと頭に手をやるが、熱はない。着替えを済ませ、朝食を食
べていると、誰かが部屋をノックした。宮崎のどかだった。
「あっ、あの……おはようございます」
「何だ、宮崎さん、どうかしたのか?」随分と怯えている。私はそんなに信頼されていなかったのか。
「あの……昨日のこと、憶えてますか……?」
妙な質問だ。昨日、私が何か変なことを言ってしまったのか。「税金はちゃんと払ってるぞ」の事だろうか。
「昨日って……昨日の、どの時間帯の事だ?」
「あの……何でもいいんです。例えば、どこかで食事をしたとか……」
私が記憶喪失になったかと疑ってるんじゃないだろうか。それぐらい憶えている。
「昨日私はいいんちょに愛用の銃を奪われ、どうしたもんかと考えていたら宮崎さんが助けてくれて、学校の帰りにそのお礼
にと、サワラ屋で一緒に食事をして、そこでいいんちょ達と偶然にも出くわし、いいんちょの反応は意外にも悪くて、あの人
は味覚がどうかしてる。それで、帰りに本の話と、私の仕事の話をして別れた。これでいいか?」
のどかは全て聞き終える前に安堵の溜息を漏らしながら、よかった、と呟いた。しかし、不安を抱えたような表情は戻って
おらず、今朝起きてからの不信な出来事を、話し始めた。
「朝起きてみたら、夕映もパルも何か様子がおかしくて、ネギ先生の所に聞きに行っても、みんな変な目で見てくるし。何か、
凄く嫌な雰囲気だったんです。でも良かった……龍宮さんは普通で」
「宮崎さん、昨日の夜って……何があったか憶えているか? その、私達が別れた後の寮内で」
「えっ……? そ、それは……その……いいんちょさんが突然部屋に入ってきて……えっと……」
そこまで言って、のどかは顔を赤らめて言葉を切った。自分の口からこれ以上は言いたくないらしい。しかし、龍宮が記憶を
掘り返すには、それで十分だった。
「ああ……そうそう、そうだそうだ。すると、宮崎さんもいいんちょにキスされたわけだ」
龍宮の遠慮のない表現に、のどかは恥ずかしさがこみ上げてきて、俯きながらも、遠慮がちに頷いた。
「そうだ…うん。何か、敵の気配がしてすぐに吐き出したんだ。……宮崎さん?」
のどかが小刻みに震えている。龍宮が昨日からの出来事を頭の中で総合すると、徐々に疑問が形になり始めた。つまり、
のどかのアーティファクトの内容に、どこまで信憑性があるのか、ということだ。私達が、いいんちょ達の言った世界に
入り込んでしまったのではないか。頭の回転の速い宮崎さんなら、とっくにそういう答えを出していてもおかしくない。
『こんなのは絶対に嘘だ』などと言った本人も、その可能性を否定できないんだろう。
「大丈夫だよ。私達は、魔法について理解があるし、いいんちょが一番怖がっていた私は、君の味方だ。心配するようなこと
は、何もない」龍宮の気遣いを感じ取って、のどかは小さく、ありがとうございます、と言った。
「それで、当の本人の、キス魔の所にも行ってみたのかい?」
「キス……? ああ、いいんちょさんの所には、まだ行ってないです。何か、昨日はあんな事もあって、行きづらくて……」
「じゃあ朝食を食べたら、昨日の詫びを小一時間、聞き行ってみようか」
そう言って、パンの残りを平らげた龍宮が、冷蔵庫から栄養ドリンクを出して一気に飲み干した。
「どうしたの? あやか。もう許してあげるって言ってるでしょう?いつまでそんな所で震えているの?」
何故自分だけがここにいる。さっきのザジと千雨の部屋に行った時の、あの反応は何だ。不法侵入者でも見るような目だった。
確かに、嫌な雰囲気は帯びていない。でも、昨日の事を聞いても、何も返ってこない。千鶴の声だって、こんなに冷たい。
「千鶴さん? あの、きょ、今日は、私、ちょっと調子が悪くて、学校を休もうかと思うのですが、よろしければネギ先生に、
そう、伝えていただけませんか?」声の震えが止まらない。
「あらぁ、いつものあやかなら、体を引きずってでも自分で伝えに行ったと思うけど、今日はどうしたのかしらね。まさか
一昨日みたいなおかしなあやかに戻った訳じゃないわよねぇ?」
怖い。ただ恐怖のみがある。自分一人で、あの異常なクラスと戦わなければならないのか。雪広家を背負うと大見得を切った
くせに、今はこうして、部屋の隅で震えているだけで、一歩も動けない。空気が重苦しく、息苦しい。呼吸をする度に、肺が
押し潰されそうになる。このまま本当に体調が崩れてくれれば、どれだけ楽か。もう嫌だ。こんな場所にはもう、いたくない。
誰かが部屋をノックする。今度は誰だ。今日は全員が敵。私は一人。
「あら、どうしたの?またクラスの伝達?今度は誰かしら?」
龍宮が強引に千鶴を避けて入ってきた。やっぱり銃の事について聞きにきたのか。銃がない事を、私に詰問しに来たんだ。
龍宮が腰を屈め、顔を近づけて尋ねてくる。殴られる。そう直観して、体を硬直させた。
「やあ、いいんちょ。昨日のあんみつは、おいしかったな」
『Misa』
小学生の頃の夢を見た。クラスで虐めが起こってて、私はやられるのが嫌で、無理矢理参加した時の夢。
「あれ、ここ……どこ?」
「起きたでござるか」
見覚えのない部屋のベッドから上体を起こすと、キッチンで料理を作っている楓の後ろ姿が見えた。カーテンの開いた窓から、
朝の日差しが差し込んでいる。
「長瀬さん? あっ、ごめん、私、昨日何があったのかよく覚えてなくて。長瀬さんが運んでくれたの?」
「夜中に階段の下で寝てたでござるよ。柿崎殿のルームメイトを起こすのも悪いと思って、この部屋に連れて来たでござる」
「ありがとう。あぁ、ヤバイ、学校行く準備しなきゃ。じゃあ、学校で」
掛け布団を剥いで部屋を出ようとした柿崎を、楓が呼び止めた。
「待つでござる、柿崎殿。時間にもまだ余裕があるでござるし、朝食がちと多くなってしまったもんで、食べてはいかぬか?
少し、話したい事もあるでござる」
何の話か非常に気になったが、今はとりあえず、年頃の女の子としての身だしなみを整えたい。
「いいけど……じゃあ、ちょっとシャワー借りていい?」
楓の了解を得てシャワールームに入った。昨日の分を一度に洗い流す快感が気持ちいい。しかしそれでも、この部屋に対する
違和感は流れていかない。確か楓は双子と同室だった筈だ。それじゃあ、あの部屋の静けさは一体何だ。それに、私は何故階
段で倒れていたのか。
いつも通りの景色と、私の知っている友達。その外観には何の疑う余地もなく、だから私は、何が二人をここまで暗く沈み込んだ
顔にしたのかが解らなかった。昨日は一緒にチアの練習をして、円が私を妬んで練習を引き延ばした。別にそんな事はふざけて
よくやったし、二人の笑顔を奪う原因にはなり得ない。昨日は、笑顔で別れた筈だ。
「ねぇ、円、桜子。何があったのかぐらい話してよ。私がデートに行った後、何かあった?」
二人共押し黙ったまま、何も言わない。暫く歩いて、円がわざとらしく溜息を吐きながら言った。
「あのさあ、さっきから何?私達はいつも通りだってば。おかしいのはあんたの方でしょ?うるさいよ、さっきから」
先程の部屋での楓との会話、そして昨日までは友達であった筈の、円と桜子。何から何までが、昨日とは全く違う様相を呈して
いた。
『今、このクラスで起こっている虐めを、どう思うでござるか』
信じられなかった。それとも、信じたくなかっただけなのか。私は全霊を込めて楓の言葉を否定した。ある筈がない。
おかしい事があるとすれば、昨日とはあまりにもかけ離れた、この現実である。私がこれだけ自信を持って楓の言葉を否定
できるのは、小学生の頃の円をよく知っているからで、決して現実から逃れたい余りではない。円が虐めを許す筈がないから。
だから私は悲しくて、二人の背中だけを見ながら重い足取りで学校へと足を進めた。
「もう私には怖いものなんてありませんわ! どちら様でもかかっていらっしゃいな! この雪広家次女、雪広あやかには
恐れるにものなど何もありませんことよ!」
「あいつはな、宮崎さん。きっと階級だけ手に入れて、後はひたすら偉そうにするだけの、いわば軍曹に近い。覚えておいて
損はないぞ」
「聞こえてますわよ! 龍宮さん!!」
小声で隣にいるのどかだけに伝えた筈だったが、やっぱり階級がいいだけあって、地獄耳も備え付けているらしい。。
「本当に職員室に預けたんだろうな。それに、学校なんかで自由に撃ってもいいのか? 昨日と言ってる事が違うような気が
するんだが」
「どうせ偽物のクラスなんですから、法律も何もありませんわ。一昨日はあれだけ自由に撃っていたではありませんか。
これならこのクラスを纏めることなど、ブレックファスト前でしてよ!」
のどかが苦笑いを浮かべているが、あやかの様に高笑いできる程、不安は拭い去れていない。一人で職員室に入って行った
あやかを待っている間、のどかと龍宮は、廊下に並んで立って待っていた。怯えた子供の様に、龍宮の制服の袖を握りしめて
いるのどかに尋ねてみた。
「怖いか?」
「は、はい…」
「大丈夫だよ。私がついてる。私がついている時に怖いのは、オクラとエビと、あんみつの値上がりだけさ」
怖い時には、あえて冗談を言う。紛争地域で、とある人に教わった言葉だ。
しかし、のどかの感じている恐怖は、別の所にあった。自分がやられるのが怖いのではない。誰かがやられている時に、自分
には果たして、声を出す勇気があるのか。逃げだして、罪の意識に苛まれるのではないか。そんな、勇気の欠片も持てない自
分になるのが、怖かった。
龍宮がとても面白い冗談を思いついた所で、あやかが暗い顔をして戻って来たので、冗談の内容を忘れてしまった龍宮は、
不機嫌そうな顔になりながらも、尋ねた。
「何だ、どうしたんだ?」
「それが、その……確かに昨日預けた先生に場所を聞いたのですが、もう、ない。と……」
「それは非常にまずいな」
大してまずくもなさそうな表情で龍宮が返したが、二人にはそんな余裕は無く、不安げな顔を一層強くして、沈み込んだ。
今からそんな弱気でいてもらっては困る。委員長であるあやかに喝を入れるために、肩を強く叩いて宥めた。
「まぁ、まだまだ必殺技はある。気楽に行こうじゃないか、雪広軍曹」
しかし、教室に入った瞬間の、あまりにも重苦しい空気に、龍宮もおもわず眉をひそめた。明るい顔で喋っている顔もある。
しかし、それは本来の3-Aの持つカリスマ的な明るさとは程遠いものだった。
「おはよう、刹那。いいあんみつ屋を見つけたんだが、帰りに一緒にどうだ?」
刹那は頬杖をついたまま、不機嫌そうな顔でこちらに一瞥をくれると、ふん、と鼻を鳴らしてまた正面を向いた。
出会ったばかりの頃の様だな、と言うと余計に面倒な事になりそうだったので、刹那は無視して自分の席に戻ろうとした。
一際暗い表情の風香の隣に腰を下ろした時、黒板側のドアから入ってきたのは、このクラスの雰囲気とは不釣り合いな程の
笑顔を携えたこのかとネギ、そして、何かに耐えているような、無表情の神楽坂明日菜だった。
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