「あの、 エヴァンジェリンさん……」
超と一緒に龍宮に肩を貸しているのどかが、 遠慮がちにエヴァに尋ねた。
「やっぱり……今日帰らなきゃ、 駄目ですか……? 私だけ置いてってもらってもいいんです。 その……今日の夜、 約束が
 あって……」
「駄目だ」 エヴァがぴしゃりと言い放つ。 如何なる理由があろうと、 素人判断でこの場所に人を残す訳にはいかない。
「そうそう何度も移動させられるような魔法ではない。 一旦戻った上で、 勝手に移動させられないよう特殊防壁を張り、
 対策を講じる為に一夜を越さなければならない。 それに、 まとめて移動した方が簡単に済むし、 無駄な魔力消費も抑え
 られる。 大体、 約束など結べるような奴がここにいるのか?」
のどかが残念そうに俯いた。 先程の浮かない顔の原因はこれか、 と龍宮は思う。 しかし、 こんな世界を見てそれでも尚、
一人で残るなどと言うのは、 相当な勇気が要っただろう。 余程の約束なんだろうか。 一緒に残ってやりたいが、 やはり
仕事を放ったらかす訳にもいかない。
「超は残ってやれないのか?」
「私は超多忙な身ネ。 研究を丸一日サボった上に、 この問題にも取りかからなきゃならないヨ。 『時は金也』ネ」
「そうか……」
保健室では、 あやかと柿崎がベッドで眠りに就いている。 あやかの髪に付着していた大量の血は、 亜子によって綺麗に
洗い落とされていて、 四人の帰還を無事確認した亜子は、 ひとまず安堵の溜息を吐いた。
「龍宮さん、 何かつらそうやけど、 大丈夫?」
「ん……ああ、 大丈夫だ」 亜子を見ていると、 自分には思いやりが足りないのかもな、 と龍宮は前から思うことが何度
かあった。
「いいんちょさんと柿崎さん、 何かあったの?」 意識不明だとでも思ったのか、 のどかがやけに不安げに尋ねる。
「面倒だから一緒に眠らせておいた。 一般人にはまだ見せる訳にはいかなかったからな。 まぁ、 感染している委員長
 はすぐに知る事になるだろうが……」 ちらり、 とエヴァが亜子の顔を確認するように見る。
「しかし、 よく洗い落としたな」
エヴァは亜子が血が苦手なのを知っていた。別に人に気遣う感情があったわけではないし、この世界では血は見慣れたもの
なのかもしれないが、それでも他人のために動く人間には、素直に感心させられることがある。
「うん……最後まで手ぇは震えたけど、 ウチにできる事はやりたかったし、 そもそも、 保健委員のくせに血が苦手ってのも、
 おかしな話やねんけどな」 亜子が少し照れ笑いしながらそう答えた。
「亜子、ごめんね、 今日の放課後の約束……駄目になっちゃった……」
「あぁ……ええってそんなん、 気にせんといて。 気持ちだけで十分嬉しいわ」
「約束ってのは、 さっき言ってたやつか?」 龍宮が理由を聞こうと、 割って入る。
「一緒に駅前のあんみつ屋さんに行く予定やったんやけどな。 でも、 なんや忙しいんやろ? あんみつ屋さんなら、 いつでも
 行けるから、 今はのどかがやらなきゃならん事してき。 ウチはいつでもええから」
「ホントに、 ごめんね……でも、 必ず一緒に行くから」
「その時は、 私も一緒に呼んでくれよ」
宮崎さんも宮崎さんなりに、 この世界に挑もうとしているのか。 確かにとても重要な約束には違いない。
「別荘へ行くぞ。 超、 代われ」
エヴァが超と代わって龍宮の肩を持ち、 超が一人であやかを背負った。 背丈から言えば超の方が良かったが、 あやかを背負う
のはエヴァ一人ではきついだろうと、 華奢な体に寄りかかる。 彼女の体は、 人間ではなくなった頃から一切変わっていない
のか、 と改めて思うと、 なんだか非常に貴重な体験をしているのかもしれないな、 と思った。
「じゃあ……またいつもの私に戻っちゃうかもしれないけど……私の言った事、 忘れないで」
「うん。 また、な……」
亜子は笑顔で手を振った。 彼女にはまだ午後が残っている。 ほんの少し居場所が違うだけなのに、 全く空気を別にした午後。
無事でいて欲しい。 のどかは心からそう願った。

「いつまでもそんな暗い顔してたら、 ネギ先生に嫌われるぞ。 もうすぐ帰れるっていうんだから、 もっと嬉しそうにしたら
 どうだ?」
「え? ……ええ、 そうですね……」
別荘近くの空き地に描かれた魔法陣の上で、 エヴァが移動の準備に取りかかっていた。 移動時に魔法を吸い取られないために、
行きとは術式を変え、 別ルートを通るために予め唱えていた魔法の解放を行っている。 経験によるものなのか、龍宮から見れ
ば、 どう見ても解放に一時間は要すると思われた詠唱は、 ものの二十分で済んだ。
「準備は整った。 ……超、 本当に茶々丸は置いていっていいんだな?」
「持ってってもどうしようもないネ。 敵の正体が分からない今は、 触らぬが吉ヨ。 マァ、 いざ駄目になったらまた新しい
 の作ってあげるからネ。 記憶ドライブのバックアップなら幾らでもあるヨ」
「おい貴様、 コピーで済ませる気か。 私は偽物などいらんぞ」 いつも以上に威圧的なエヴァの声に、 超は少し驚いた。
「何も変わりないヨ。 経験値も同じ、 AIも同じ、 記憶もそっくりそのまま、 今まで通りの全く同じ茶々丸ネ。 何が不満ネ?」
「こちら側の茶々丸を殺すつもりか。 私はコピーなんていらんぞ」
そういう所は案外さっぱりと割り切るタイプだと思っていたが、 よく考えれば、 エヴァはあまり人と関わりを持たないうえ、
心を通わせることも珍しい。 どういう訳かは計り知れないが、 どうやら茶々丸は、 予想以上にエヴァの心に居着いているの
かもしれない。 そう考えると、 なぜか超は嬉しさが込み上げてきた。
エヴァと人工生命についての議論を交わす気は全く無かったし、 自分の子供ともいえるクラスメートを簡単に諦める気も
無かったので、 超は自信有りげに答える。
「分かたヨ。 コピーは作らないネ。 茶々丸は絶対に取り返す。 いいネ?」
エヴァがそれに答える代わりに、 ふん、 と鼻を鳴らすと、先程から黙っていたのどかの声が上がった。 言うか言うまいか
迷っているような、 不安そうな表情をしている。 まだ居残りの件で迷っているのかと皆が思ったが、 そうではなかった。
「あの……本当に、 これで全員ですか?」
「何が言いたい」
現在ここにいるのはのどか、龍宮、あやか、超。「何もおかしな所はない」 と言うエヴァは、さっさと帰ってしまいたそう
な、面倒臭そうな顔つきでのどかを睨む。
「あの……確実に元の3-Aの人と見分ける方法はあるんですか? そもそも、こっちに来た原因だってまだ分かってない
 し……」
「誰かに唇を奪われただろう。 それが原因だ。 確かに、 確実に見分ける方法など無いが、それならお前は一体誰を疑って
 いるんだ? まさかそれを口実に和泉を連れて来よう、 なんて下らない考えではあるまいな」
「いえ、 そうではないんですけど、 もし万が一、 魔法のことも何も知らずに、 こんな世界にたった一人で取り残されたら、
 って考えたら……。 例えば、 柿崎さんはどうですか? この世界の龍宮さん、 みんなから凄く怖がられてるんです。
 なのに柿崎さん一人だけが、 何の怖がる様子もなく龍宮さんに立ち向かったんです」
「それぐらいの反応なら別におかしくはない。 第一、 和泉はあのクラスに刃向かったお陰で虐げられたんじゃないか。
 柿崎もこれからそうなるんだろうが、それは私達の知ったことではない。 それに、 柿崎は龍宮の様に最後まで反抗できた
 訳ではないんだろう?」
のどかの浮かない顔つきの正体は、 亜子とのあんみつ屋の約束ではなかった。 ようやくそれを察した龍宮は、 のどかの意見
に同意する。
「確かにそうだが、 しかし本物の3Aだって、 こんな世界に連れ込まれて最後まで反抗できる奴がどれだけいるか……。
 それに、『気づけなかった』で済む問題じゃあないんじゃないのか?」
「なら一人一人、 昨日と今日の記憶の違いについて確かめるのか? もしその中に敵が紛れ込んで、 嘘を吐いたらどうする。
 みすみす敵を元の場所に連れ込むことになるし、 それこそ厄介だ。 戻って確実に確かめた方がいい。 何、 へタに奴らに
 反抗しない限りそこまで酷い目には遭わんだろう。 向こうで確かめてから、 じじいに送ってもらっても遅くはない」
二人共、 腑に落ちない顔で渋々諦めた。 そこまで敵のルールを信じてもいいのだろうか。 しかし、生憎こちらのベッドで
安心して眠りに就く自信は、龍宮には無かった。あわよくば、改心した刹那が反対派になってくれれば、そんな甘い期待感
さえ持ってしまった。
「行くぞ」 地面に描かれた巨大な魔法陣が光り出して、 四人が移動を開始した。


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