六対一という絶望的な状況の中、茶々丸はあえて勝率を計算しなかった。勝率などどうだっていい。何故かそう思うようになっ
ていた。難解な答えは捨て、ただひたすら答えに向かう。柿崎からそう教わった。今は、彼女を信じてみよう。

敵の攻撃の手は増したものの、六対一である割には手数も少なく、チームワークも良いとは言い難い。古菲、楓、刹那が主な
前衛を務め、明日菜がサポート、龍宮はスナイパーライフルに持ち替え、援護射撃に回っている。葉加瀬はとどめの主砲とい
ったところだろう。総合的な火力に難はない。むしろ余りあると言ってもいいぐらいだ。しかしそれが、全体の行動力にムラを出
す結果となってしまっている。恐らく皆が皆、他人の攻撃を信じ切れていないためだろう。
ここから、如何にして彼女達を逃がすか。
注意すべきは、龍宮のスナイパーライフル、そしてハカセの、恐らくはビームキャノン。エンジン部分と思しき場所から高エネル
ギー反応が出ている。あんなものを一般人に当てる気なのか。
龍宮のライフルはほぼかわせないと言ってもいいだろう。真っ先に破壊すべきはあれか……。
古菲の打撃を空中に逃げて回避しつつ、楓のクナイと刹那の斬撃を受け流す。人目を気にしてか、例の羽根を出す気配は見
受けられなかったが、ここに、油断をすれば龍宮の一撃が飛んでくる。地形を把握しながら、周りの三人を盾代わりにして射角
内から外れた。
しかしその時、レーダーが危険を告げている事に気が付く。
ダビデ像付近にいる亜子、柿崎、のどか、美空の元に誰かが近付いていた。足の速い明日菜。マズい。
ブースターを最大まで開き、明日菜に体当たりを喰らわせようとしたが、直前で見切られ、あっさりと避けられてしまう。
しまった……
茶々丸がダビデ像付近でブレーキを掛けたことで、逃がすべき彼女達と密集してしまっていた。刹那と楓がダビデ像を中心と
して、輪を描くように展開する。後ろには明日菜、教会側には龍宮。
ロックする時間が足りず、手動に切り替えて前面からレーザーを拡散させた。古菲と刹那は一旦退いたが、楓は間をかいくぐ
って容赦なく巨大手裏剣を浴びせてくる。眼前1センチ手前で、白刃取りの体勢でそれを受け止めると、金属の削れ落ちる鈍
い音が鳴り響いた。
楓を前蹴りで跳ね飛ばすと、すかさず左右から迫りくる斬撃と打撃。再びそれを片手ずつで受け止め、手放さずに膝からミサ
イルを発射した。火薬の量は殆ど無いため、威力は低いが、ダメージは十分にある筈。
ところが、二人共見事にそれをかわしていた。
肩部、腕部にエラー。
気付くと、掴んでいた筈の刹那の刀と古菲の手が消えている。
茶々丸の両腕共、衝撃を掛けすぎたためか、本来の力を発揮していない。動かしてみると、ぎこちなくギシギシと音をたてなが
ら辛うじて機能している程度だった。刀を掴んだ左の手には、大きな亀裂まで入っている。
この一瞬の油断が隙を作り、左脛に龍宮の銃弾が入った。ここで確信できたのは、勝つ事が非常に困難になった事と、頭を撃
ち抜ける技量のある筈の龍宮は、手加減をしてくれているという事だけだった。
大きく後ろに下がった左足と、バランサーが無理に体勢を立て直そうとしたせいで、身体がぐらつく。
「茶々丸さん、アカン!!」
波状攻撃が全身を襲う。4人に分身した楓を含め、敵総戦力は実質9人に膨れ上がった。
どうやら先に私を完全破壊するらしい。
葉加瀬の顔を見てみると、下唇を噛んで何かにじっと耐えている様子だった。きっと、実験道具である私が壊れてしまうのが嫌
なのだろう。木乃香はそんな葉加瀬の表情には目もくれず、ただ楽しそうにこちらの方を見て微笑んでいるだけだった。

私は後ろを振り返らずに、4人に謝った。守り切れず、約束を破ってしまった事と、葉加瀬に何も恩返しをしてやる事ができな
いのを、少し残念に思った。
夕凪を鞘に収め、脇構えの姿勢に入った刹那が膝を落として最後の一撃の準備にかかる。
「皆さん、ごめんなさい」
飛び散った火花は、薄暗くなった夕空には綺麗に映り込んだ。



茶々丸さんが一人で闘ってるのに、私は何もできないなんて……

人がいなくなったダビデ像広場はとても静かで、辺りにはただ、銃声と金属音、かけ声と小さな悲鳴だけがあった。
柿崎は空を見上げ、瞳にその薄暗い曇り空を映した。
こんなにも広い場所があるのに、私はただ広場の中心で身を縮めて、事が済むのを待っている。
これが終わったら、私は何をする。どこへ行く。この、何もかもが今までとは違う世界を、どこで過ごせばいいのだろうか。
私は信じた。音楽で人が救えるって。亜子達とバンドを組んで、明るさをこの世界に分け与えるって。頭の中にはずっと、
大好きな音楽が流れていた。

お願い……。お願いします……。

新たに敵の数が増える。劣性が濃厚になる。
目を瞑り、心の中で歌を歌った。

光の方へ
“それ”が作り出す影を恐れるな
逃げだすな
祈れ
猛烈な争いに、未熟な肉体を捨ててしまうのか
奇跡の可能性
命の尊さ
祈りは、偶然と奇跡と、嘘と現実の境界を引き裂き、全てをつなげる

お願いします……。刹那さんが、刀を収めてくれるって信じてるから……
しかし、引き裂かれたのは、その虚しい願いだった。
聴いてしまったその耳障りな金属音に、思わず耳を塞いだ。



「のどか……お願いや! あの本使ったらちょっとは助けになるんと違うん!?」
亜子の必死の頼みも虚しく、のどかはうなだれて、首を横に振った。
「読んだところで、どうするの? 私がそれを茶々丸さんに伝えて、何が変わるの?」
本も、大人も、諦めない事ばかりを声高に謳い、肝心な事は何一つ教えてくれない。
相手は6人。京都の小太郎の時とは訳が違う。
やっぱり自分は変われない。みんな、必死になって私を助けてくれたのに、私は何の期待にも応えることができない。
もう一度思い返してみる。今までのこと、そして、暗唱できるまで読んだ本。
一つだけ、気になる言葉が浮かんだ。

『願うことだって、立派な闘いだからさ』

こんな程度の言葉で変わろうなんて、虫が良すぎるのかもしれない。
でもその言葉は、心の中に引っかかりを残した。
気付けば、隣で柿崎が空を仰ぎながら目を瞑っている。彼女も無力な自分を悔いているのだろうか。
のどかも同じ様に目を瞑り、空を仰いだ。不思議と心が落ち着き、心地よいざわめきが立ち上ってくる。
飛び散る火花。金属音。



  GROUND ZERO

龍宮が舌打ちをしたのは、弾が当たらない事にではなく、茶々丸の機械的過ぎる戦略に対してだった。
どうした……守りに入り過ぎだ……違う……
昨日の記憶がはっきりしない。茶々丸と闘った事は覚えている。勿論、それは奴が裏切ったからだ。私が報酬を受け取った相
手を裏切る筈がない。なのに……この胸騒ぎは何だ。
茶々丸が刹那の斬撃と、古菲の打撃を片手で受け止めている。二人を甘く見過ぎているようだ。あれでは直撃と何も変わらな
い。昨日のアグレッシブさはどうした。足手纏いなど、放っておけばいいものを。
茶々丸の隙ができた所に、容赦なく銃弾を撃ち込んだ。頭を撃ち抜かなかったのは、せめてもの情けだ。
もう終わりか。舌打ちをしながら、そう呟く。
龍宮は、茶々丸の不甲斐なさにこれ以上期待するのを諦めて、ライフルを下ろした。しかし、帰り支度をしようと立ち上がろうと
した時、眼が遙か上空に妙な光を捉えて、そちらの方に目を向けた。
ダビデ像のほぼ真上に、小さな光点がある。遠すぎるためか、或いは攻撃に夢中になっているせいか、他の誰も気付く様子は
なく、ダビデ像から一番遠くにいる龍宮だけがその光点に気が付いた。
眼に力を込め、光点の正体を見定めると、唖然となった。
上空の光点は、関西呪術の術式で方陣が描かれている。しかも、全てが二重のラインで出来ていた。
禁呪……?
方陣が中から何かを吐き出した。その物体は高速で落下してゆき、丁度戦闘が行われている場所まで一直線に向かっている。
魔眼はその正体をとっくに見定めていたが、頭ではそれを信じる事ができなかった。
金属音が耳に入ってきた直後、とうとう魔眼が狂ったかという錯覚を起こし、慌ててギターケースの中に置いたデザートイーグ
ルを拾い上げ、ダビデ像まで全力で走った。確かめなければ。もっと近くで。この眼が狂っていない事を。
そして、羽根を広げた“もう一人”のその言葉を聴いて、思わず口元が綻んだ。
「神鳴流 桜咲刹那……参る」



二人目は、絶叫マシンにでも乗っているかのような悲鳴で発狂しつつ手足をばたつかせ、仰向けで落ちている。先に地面に激
突したのは、猿の形をした人形、そして、それをクッションにするように後から落ちてきた人影は、明日菜と木乃香の見知った
顔だった。
「ぐふぅ!!」
巨大人形の潰れる音と共に、目の前に落ちた人間を眺めながら、柿崎達は呆然となった。
人が……降ってきた。
一人は、自分の知っているクラスメートと全く同じ顔をしている。唯一違う事といえば、背中に羽根が生えている事ぐらいだろう
か。
「せっちゃんが……二人……?」 目を丸くした木乃香が呟く。
瞼を開けた刹那は、鬼の様な厳しい目つきで辺りを見回し、一言、成る程、と呟いた。背後では、思い切り腰を打ち付けた千草
が痛む箇所をさすりつつ、「ちょっとぐらい気にしてくれても」だの、「死ぬかと思った」だの、二言三言愚痴をこぼして、苦笑いの
まま後ろで呆然としている4人と挨拶を交わした。
「イタタタ……。どうも、おはつですぅ」
初めて顔を合わせた4人は何と返してよいか分からず、「あぁ」とも「はぁ」ともとれる、気の抜けた返事を返した。
縁のない丸メガネの位置を片手で直しながら、やや歳の離れた中学生に何と言ってこの奇妙な空気を乗り切ろうかと千草は考
えたが、結局答えが見つからず、黙って刹那の言葉を待った。
その場に居合わせた殆どの人間が呆然とする中で、斬撃を受け止められた、制服姿の刹那が辛うじて声を出した。
「天ヶ崎……千草……? 何故、お前がここに……それに、私が……もう一人?」
千草は不意に自分に向けられた質問に意表を突かれ、答えを見失った。今は、言葉など意味を持たないのではないか、そう思
わせてしまう程、異質な空気が辺りを支配している。
「状況は後で聞こう。どうせ説明する気もなさそうだしな」
しびれを切らした龍宮が、早く闘わせろ、とでも言わんばかりに刹那を睨み付け、挑発している。
「そうだな……それに……」
一呼吸置いた時には、緊張のためか、誰かがごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
「記憶がはっきりと残る程、無事にここから帰れるとは思うな」
余りの気迫に、構えたままの古菲が一歩後退する。
「柿崎さん」
柿崎がはっとして我に返り、刹那が自分の名前を呼んでくれた事で、改めてクラスメートであった事を実感した。
「な、何……?」
「手に怪我を負っているようですが、大丈夫ですか?」
「う、うん……」
「よく、ここまで耐え忍びましたね」
優しい声で、しかし、自分の背負った役目を忘れていない。そんな力強い声が、胸の中に染み込んだ。
「柿崎さん……今、私のすべき事を教えてください」
柿崎が深呼吸をして、意識を整えた。願いは届いたのだ。見ているだけなのは辛いけど、私が刹那さんにお願いしなければい
けない、それだけで、喜ばしいことに思えた。
「のどかを……のどかを、守って」
戦闘装束に身を包んだ刹那が夕凪を脇に構え、完全戦闘態勢に入った。右足を前に出し、柄に手を掛ける。
「承知しました」
刹那は柿崎の一言があるまで、のどかが敵であると認識していた。しかし、のどかを守る、という矛盾したクラスメートの頼みを、
何も聞かずに受け入れた。
説明はいらない。ただ目の前にあるものを信じて闘う。茶々丸はそんな刹那の姿に惹かれ、もう少しだけ柿崎を、自分を、信じ
てみることにした。
故障した個所に応急処置を施す。バランスを辛うじて保っている、ボロボロの身体でふらつきながら立ち上がり、千草、刹那と
並んだ。
信じる事とは何か。この戦闘の後に、ほんの少しだけ、その謎が解けるのではないか、そんな予測があった。
三人と六人が改めて見合うと、凄まじい程の気と感情が、黒雲の下の広場を支配し始めた。

    3対6

瞬動……常人にの目にはとても捉えられない速さで動くその移動が、戦闘の口火を切った。
戦闘状態となった刹那は、個人戦であれば他の四天王よりも圧倒的に戦闘力は高い。チームワークとも言えない相手の闘い
方は、最早個人戦と言ってもいい程だった。刹那はたった一人で四天王を相手取り、戦局を押し始めている。元より四天王の
中ではナンバーワンの実力を持つ刹那にとって、さほど難しいことではない。
全方位の攻撃を受け流し、あっさりと背後を取っては一撃ずつ決めてゆく。しかし、一見余裕そうに見えるその動きに焦りを感
じ取っていたのは、龍宮だった。
やはり、いくら刹那といえど、全員に本気を出されたらたまったものではないだろう。ましてや、刹那は一人だけではない。しか
も、木乃香が見ているのでは、刹那がいつ本気に近い状態に入り込んでもおかしくはない。そうなる前に勝負を決しようとして
いるのだろう。
「刹那」
一歩距離を取り、こちら側の刹那に声を掛けた。
「お前も羽根を出せ」
「し、しかし……」
「どうせ一般人に見られている。ならお前も解放しろ。引き延ばした方が有利だ」
刹那は苦い顔で躊躇っていたが、木乃香の方を横目でちらと見ると、決意を固め、背中を天井に突き出した。
白い羽根が露わになる。相手の刹那が一瞬、しまった、という顔をしたが、すぐに元の厳しい目つきに戻った。向こうにもこの
程度で怯んではいけない理由があるのだろう。
「楓、古、後は任せたぞ。私は向こうへ行く」
龍宮が千草の方を向き、最近神社に来た新人のの元へと歩みを進めた。



「こんにちは。天ヶ崎千草さん」
「……ぎくッ!!」
柿崎達の周りに結界を張っていた千草が、びくりと肩を震わせ、おそるおそる龍宮の方に目を向けた。
「この間、修学旅行があったんですよ。この学校。そこで、ちょっとしたいざこざがあって……」
符に結界の印を書きながら、龍宮と目を合わせまいと、必死で目を逸らしている。
「どうやら、その事件の犯人は関西呪術協会からの刺客だったらしく……」
額に冷や汗を浮かべながら、小刻みに震えた顔が、龍宮の方へと動いた。
「それで、刹那から聞いた話によると、確か名前が……天ヶ崎千草、とかなんとか……」
完全に龍宮と顔を向き合わせた。弁明の余地がない。いやしかし、ここにいる龍宮は偽物……バレても何ら問題はない筈……。
龍宮が銃口をダビデ像の真上へと向けた。それは、ついさっきまで方陣のあった場所を指している。
「確かあれは、禁呪だったな……。刹那もとうとうそんなものに手を出したか……」
「せ、刹那はんは関係ありまへん。ウチが勝手にやった事……それに巻き込んだだけですえ」
自分の事情を唯一理解してくれた刹那の事を悪く言われ、同罪にしたくない一心で慌ててそれを否定した。
「そうか……フフ……随分深い事情がありそうだな。だが……」
銃口が千草の方を向く。結界は張り終わったが、一歩でも動いたら撃ち抜かれる、そんな気迫が銃口から溢れ出ていた。
「そんなものは関係ない」
銃声に驚いた亜子達が、口から小さな悲鳴を漏らし、目を覆った。恐る恐る手をどけて前を見ると、そこに千草の姿はない。
あるのは、穴の空いた一枚の紙切れだけだった。
「フフフ……甘いどすなぁ。お嬢様を奪われた刹那はんの目の方が、数十倍恐ろしかったえ。ここにいる他の子ぉと違て、アン
 タにはまだ余裕があるみたいやなぁ。」
背後に立った千草が、唇に当てた符越しに龍宮を挑発した。そのまま投げ捨てる様に背中に符を放つと、熊型の新たな式神
が出現し、猿鬼と共に龍宮を挟んだ。
「ほう……これがあなたの式神か……」
耐久力だけはバカに強い猿鬼と熊鬼が龍宮の相手をしている隙に、千草は広場を覆う壁に向かって走り出した。そこに予め
用意しておいた無印の符を張り付けていく。
通常、符には“目眩”などの攻撃手段が書いてあるが、同業者や、文字の意味を理解する敵には、その文字を見ただけで対策
を講じられてしまうため、符に更に呪を掛け、無印に見せる事ができる。龍宮がその文字を理解する事を刹那から聞いていな
ければ、この戦法は破られていただろう。
次の張り付け場所へと向かうために向きを変えた瞬間、目に入ったのは、穴の空いた熊鬼と猿鬼の姿だった。
「速過ぎどすわ……」
口元を緩めた龍宮の顔が、銃口と同時に再びこちらを向いた。
大量の符を撒き散らし、銃弾の雨に防御膜を張って何とか凌ぐ。しかし、いつまでそんな状態が保つかも分からず、作戦も何も
あったものではない。いい加減鳴りやまない銃声に、助けを求めるため声を上げようとした時、突如、銃声が止んだ。背後に回
られたかと思い、慌てて周辺を確認すると、茶々丸が龍宮に向かって体当たりを仕掛けているのが目に飛び込んできた。
龍宮はすれすれで身体を捻って回避してはいたが、警戒を誘うには十分な牽制になっただろう。
すると今度は、今まで茶々丸の相手をしていた明日菜と葉加瀬が、千草の方に狙いを定めてくる。明日菜の手持ち武器がこち
らの式神を一瞬で消してしまう事は知っていた。ここまで猿鬼と熊鬼の耐久力が役に立たなかったのは前回の失敗以来だと、
改めてこの学園の人間の恐ろしさと、この闘いに勝つ事の難しさを実感した。
「あっ、あんた何でそんなに足が速いんや!!」
「明日菜はクラスで2番目に速いんよ。もっと速く走らな、追いつかれてしまうえ」
遠くの方から聞こえてきた木乃香のその声は、以前に会った時よりも、明らかに質を異にしていた。
あれではまるで……
しかし、そんな事を考えている暇はない。バカに足の速い明日菜と、何やら宙に浮いている巨大な機械からの光線を回避する
事に全神経を集中させなければ。あれを喰らっては、怪我どころの話ではない。

茶々丸の空中からの援護が入り、何とか2枚目を張り終える。2枚目の符を張るのにさえ、ここまで苦労するとは。
「そこの飛んでる娘ぉ、ちょっとこっち来てや!!」
茶々丸を呼んだつもりで言ったが、葉加瀬と偽者の刹那が何か用か、と言いいそうなキョトンとした顔でこちらを向き、飛んで行
く茶々丸の姿を見て、ああ、自分じゃないのか、と妙に納得したような恥ずかしそうな顔で元に戻った。千草は間違えて呼んでし
まった事に変な責任感を感じ、何か言わなければいけない様な気がしたが、茶々丸が到着してそのままうやむやになってしまっ
た。その妙な空気で趣味の川柳ができそうだったが、やめておいた。相手に隙ができたから、まぁいいか。
「お札張るの手伝ぅてや。あの二枚を一辺にして、正八角形を作っておくれやす」
茶々丸はこくりと頷き、千草から符を受け取ると、再び飛ぶ姿勢に入ったが、千草がそこで何かを思い出したように、茶々丸を
呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「あんた、名前は? 修学旅行ん時は、随分物騒なもん持っとったけど」
「絡繰茶々丸と言いますが……それが何か?」
「ほうか、ほなら頼みますえ、茶々丸はん」
千草が茶々丸の背中に符を張り付け、その勢いで宙へと後押しするように、押し出した。



「あ……ぁ、アデ、アデアット……」
喉の奥から絞り出すようにして、やっとの事でアーティファクトを手元に出現させた。喉が痛い。泣き喚いたせいで喉が枯れて
しまったのだろうか。でも、何かやらなければ。期待に答えなければ。
幼い頃から培ってきた向上心。誉められるために、叱られないために行ってきた努力。
自分は今、守られている。これだけの人達に。だから、期待に応えなければ。
一枚ずつゆっくりとページを捲る指は、これ以上ない程に震えていた。もう少しで、あの恐ろしい場所に辿り着く。私の運命を変
えてしまった、悪魔のページ。どくどくと肋骨を打ち付ける心臓の鼓動にさえ、拷問を受けているような痛みを感じた。
刻みつけられてしまった、あのページ。今まで散々悪用してきた、どのページよりも恐ろしい。いたずらに人の心を読み、木乃香
に伝える。その人間が一番恐れている事を平気で実行してきた。
この運命はきっと、私への罰なのだ。目を覆いたくなるような愚かしい行為。私は今まで、完全な悪人だった。
次だ。この次のページ。鼓動が高鳴り、捲る途中のページと同じように、奥歯ががたがたと震える。
恐る恐る瞼を開け、ページを広げた。
しかし、そこに書かれていたのは、楓の心の中だった。『いつか必ず復讐してやるでござる』、そう書いてある。
あぁ、そうだ。楓が私達に逆らえないようにするアイデアを出したのは、私だ。何て事を。
なら、次のページだ。
しかし、そこもまた例のページではなかった。古菲の寂しさが切々と綴られている。
『一人は嫌アル』
心臓が締め付けられる。最早その本に書かれている内容の半数以上が、全て私に向けられた言葉だった。
『あんな事考えてたなんて』
『夕映……身代……写真』
『私だけは見逃して』
『助けて、お願い』
『ごめんなさいごめんなさい』
『うちならどうなってもええから……まき絵だけは』
『ごめんね、亜子』
『いつまでこんな事、続けるの?』
『私の番が終われば』
私が表層を剥ぎ、無理矢理むき出しにさせた本心。知ってはいけない、人の本音。
出し切ったと思っていた涙が、再び頬を伝い、地に滴り落ちた。胸を突き破ってしまいそうな鼓動と、割れそうな程の頭痛に叫
び声を上げ、頭を抱えて地面に縮こまった。
私にはできない……。
これ以上、人の本心を覗きたくない。人間の中身を見たくない。
この期に及んで、何と都合のいい言い訳だろうか。自分でもそう思う。だけど……。
あぁ……
みんな、私を守ってくれているのに……。
また私は、人を裏切ってしまう……。
いっそ、もう一度私が標的になれば。
私が虐められれば、どんなに楽だろうか。



茶々丸の正確な計測により、完璧な正八角形が出来つつある。しかしそれと同時に、相手にもこの陣の性格が知れる事にな
るため、残り2枚を張る作業が急がれた。

「あれは……」 楓が足を止め、札の位置を確認する。
最初は、壁を利用した、ただのトラップかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。試しに符のある場所にクナイを放って
みると、符の周りに施された障壁に弾かれてしまった。普通のトラップにはここまで防御策はしない。では、あの符は一体何か。
思い当たる八角形の陣を頭に浮かべる。移動陣2種、破戒陣4種、捕縛陣3種。そして、茶々丸の背に張られていた符。
そこから絞り出せる答えは一つしかない。
楓は瞬動で符に近づき、結界破戒で符の周りの障壁を砕いた。
急いで符を切断しなければ。そう思った瞬間、視界一杯が炎に包まれる。焼かれた上着を脱ぎ捨て、ぎりぎりで変わり身に助け
られた。何が起こったかと前方を向き直ると、地面には焼き切れた二枚の符が地面に落ちていた。
「三枚重ねでござるか……」
捕縛符の上に更に張り付けたトラップ用炎術攻撃符と、障壁符。無印であるがために見抜く事は困難だった。
「茶々丸はん! 破られた符、守ってや!!」
残り一枚。茶々丸が楓の元へ向かい、丸裸になった符の前に立ち塞がった。このままここにいては危険だと判断し、フィールド
の外に逃げようとした楓を、茶々丸のワイヤーが捕獲する。
結界破壊を使う事ができるのは、楓と龍宮、そして刹那。装束に身を包んだ刹那が、その三人のみに的を絞り、茶々丸と並ん
で符の前に立ち塞がった。
龍宮が向きを変え、別の方向にある符に向かって走り出す。
時間がない。
丸裸になった符に新たに障壁符を張り、刹那が龍宮の後を追った。
「させるか……」
一気に龍宮の正面まで飛び、斬撃で龍宮の動きを止める。
「クソッ! 葉加瀬! メガネの女を撃て!!」
その怒号を聞いた葉加瀬が慌てて照準を千草に合わせる。千草の手には最後の符。
強烈な赤い光が、雲に覆われて暗くなった広場を一瞬で明るくした。

*

上半身がサラシのみになった楓の体は、刹那の斬撃と茶々丸のワイヤーによって、糸状の赤い生傷がその肌をびっしりと埋め
尽くしていた。
このかに約束を果たしてもらうため、この闘いにだけは勝利しなければならない。刹那のように、言いなりになってはならない。
龍宮のように、プライドを捨ててはならない。自分はただ、救うために従う。あの悪魔に。
そして、いつか必ず復讐を果たす。果たされなければならない。

しかし、その思いが今、無惨にも尽きようとしている。
葉加瀬の手元を狂わせたのは、茶々丸の放った一対のミサイルだった。人体に大きな被害が出ないために威力を抑えてある
ので、機体に大きな傷は付けられなかったが、弾道をほんの少しずらすには十分な威力だった。
楓を縛っていたワイヤーを解き、八角形の中心で千草と合流した茶々丸が、千草を肩に乗せて垂直に飛んで行く。龍宮の放っ
た銃弾は、間に入った刹那が全て切り落としていた。向かってきたもう一人の刹那は斬岩剣で牽制している。技の隙は大きか
ったが、相手の焦りを視野に入れた攻撃手段としては、的を射ていた。
一定箇所まで飛んだ千草が、最後の符を持って始まりのかけ声を叫ぶと、茶々丸から飛び降りて降下を開始した。心なしか、
楓には、千草の顔が少し嬉しそうな表情に見えた。彼女は今、自分の心の焦りとは正反対の場所にいる。あの女には、守るべ
き者がいないのか。そんなふざけた顔で、自分の、叶えなければならない望みをうち砕こうというのか。
しかし、そんな憎しみに反して、上空の千草を見上げていると、何故だか少しずつ心が落ち着いていくのを感じた。闘いの最中
における、冷静さ。冷静さを欠いた者は、全ての道を踏み誤る。そういえば、そんなような言葉をいつか聞いた気がする。
印を結んだ千草の持つ最後の符に、光りが集まり始めた。広場の壁と地面に張り付けた八箇所の符が、それに反応するよう
に、共鳴を始めた。
「行きますえ! 京都名物、捕縛型巨大八陣! 修羅・弁天・幕の内!!」
突き出した手の先の符から、鉛筆状に光の筋が発射される。
「はんなりしっとり、捕まりぃや!!」
光の筋が檻となり、広場上の全員を閉じ込めた。その中から、装束下の直肌に符を張り付けている刹那と、先程千草に張り付
けられた茶々丸、そして防護陣に守られている柿崎達4人を除き、このかを含む全員が捕縛され、身体の自由を奪われた。

千草が地面に到着すると、鉛筆型の結界の天辺の部分が消え、広場には八本の光の柱だけが残った。
「……こないに疲れたんも久々やなぁ。しかも相手が中学生いうんやから、恐ろしいもんどすなぁ」
一仕事終えた千草が、戦闘終了早々ダビデ像に寄りかかって溜息を吐いた。行動不能になり、操舵手を失った葉加瀬の兵器
はゆっくりと落下を始め、茶々丸の背中にキャッチされた後は、ただ静かに地面に下ろされた。
人の身長の二倍程の高さにある操縦席まで飛び上がり、葉加瀬の目の前まで来た茶々丸が尋ねる。
「お怪我はありませんか、葉加瀬……」
茶々丸の気遣いには答えず、葉加瀬は気まずそうに目を逸らしながら、質問で返した。
「どうして……。どうして逆らったりしたの……?私の命令には絶対服従だってプログラムされてるのに」
「さぁ……。今朝方のエラーが何か関係しているのかもしれませんが、詳しい事は、私にも……」
「それに……。それに、私はあなたに酷い事をしたのに、そこまで人間の思考に基づいて行動しているのなら、どうして平気で
 私と顔を合わせられるの……」
何を考えているのか、茶々丸はいつも通りの無表情な顔つきで視線を右下に逸らすと、再び葉加瀬と向き合った。
「それについては、簡単です。……本で読んだ、『反抗期』というものに、なぞらえてみたんです」
「反抗期……?」
そんなプログラムを茶々丸に組み込んだ覚えはなかった。“なぞらえた”と言っているように、ただ単にそう捉えているだけなの
かも知れない。
「ヒトの脳にも、時期が来れば『反抗期』というプログラムそのもの発動する訳ではなく、一人で行いたい、という欲求や、“自分
 の方が正しい”という自己顕示欲の表れが複雑に重なり、行動に出る、とありました。つまり私は、昔の優しい葉加瀬に戻っ
 て欲しい、という自己の欲求を通そうとしたんです」
「でも、そんな事したらプログラムがバグを起こす筈よ。そう簡単には私には逆らえないようになってるのに……」
茶々丸が少し悲しそうに目を伏せた。人間であるならばその説明で事足りる。しかし、機械である自分はそこからもう一回りし
なければならない。
「ええ……ですから、非常に悩みました。葉加瀬の行動は、本来自分に与えられている“人のためにあれ”という命令に反して
 いるものでした。しかし、私は葉加瀬に逆らってはいけない。そして、従えば従う程、私が葉加瀬から聞いた、機械としての理
 想の姿からかけ離れていく。私は、プログラムに従えば良いのか、命令に従えばいいのか、それとも、それとは別の、私の中
 にあるプログラム外の“心”の部分に従えば良いのか、解りませんでした」
茶々丸自信、説明に迷っている様子で、今だって相当な混乱を整理している筈なのに、茶々丸はとても静かで、作り主である自
分より冷静だった。
「今朝方、ネコが溺れていたんです」 唐突に切り替わった話題に、葉加瀬が一瞬驚いた顔をして、先の話を待った。
「いつもの川でネコが溺れていて、私は最初、それを無視しました。歩道橋を昇れずにいた老人も、風船が木に引っ掛かって泣
 いている子供も、餌を欲しがっているネコ達も、全て無視しました。いっそこのまま、人の心の部分を無くしてしまえば、命令に
 よる矛盾も、エラーによる苦しみも、人を傷付ける苦しみも、全てが消え、解放されると思ったんです。しかし、そんな事は全く
 ありませんでした。いつまで経っても、人や動物を救えない苦しみは消えず、命令の起こす矛盾よりも、何倍もの苦しみが襲っ
 てきたんです。何故、機械である私がこんなにも悩み、苦しみ、足掻かなければならないのか……」
昨日までの茶々丸とは決定的に違うものがあった。瞳に輝きが増し、とても優しい目をしている。葉加瀬はそう感じた。
「私は一通りいつもの行動を終わらせた後、学園まで来ました。結局、何も変わる事はできなかったと、機械ながらに落ち込み
 ました。でも……何か、“満足感”はあったんです。そして柿崎さんに会い、相談を聞いてもらいました」
茶々丸の視線に誘われて、葉加瀬も柿崎の方を見た。柿崎は意表を突かれ、突然紹介された友達のように、頭の後ろに手を
当てて、照れくさそうに頭を下げた。
「柿崎さんの答えは、とても簡単でした。『忘れてしまえ』と。今、目の前にある自分のやりたい事をやれ、とも言われました。私
 は、こんな複雑な感情がその程度で解決を導き出す筈がない、と思っていたんです。でも……」
茶々丸が葉加瀬の髪に手を延ばし、髪留めを解いた。艶のある、太くて質の良い髪が、統制を失ってさらさらと肩にこぼれ落
ちた。 「私は今、幸せです」
微笑みかけたその表情はまだぎこちなかったが、茶々丸の気持ちを表現するには、最高の笑顔と言えた。こんなに嬉しそうな
茶々丸の顔は、見たことがない。
「葉加瀬……今度は、あなたが答えを出す番です。もし、木乃香さんに逆らえない事情があるのであれば、今すぐに変わって欲
 しいとは言いません。ただ、頭の中では常に考えておいて欲しいのです。本当に、この行いは正しいのか。科学につき物の犠
 牲は、この様な形であってもいいのか。この歪んだ道の先に、本当に求めた成果があるのかを」



「さあ、これから私達をどうするつもりだ。拷問にでもかけるか?」
縛られた龍宮の質問に、夕凪を鞘に収めた刹那が、急激な運動によって疲労した筋肉をストレッチでほぐしながら答えた。
「そんなことはしない。そうだな……宮崎さんを安全な場所まで送り届けて……といっても寮になってしまうだろうが、私は彼女達
 の身辺警護にでも就く。別にお前達をどうこうするつもりはない」
「もう一つ聞きたい」
「何だ」 既に面倒さを伺わせる表情になりつつ、聞き返した。
「お前にとって、私達偽物とは、一体何だ」
その言葉には、多少の反応は隠せない。幾分かは何かを悟られたかもしれないが、それを話す事はエヴァンジェリンから止め
られていた。彼女らにも自我はある。自分の存在が嘘だと知った人間は、何をしでかすか分からない、と。恐らくまだ、感づいて
いるのは、“偽物がいる”といった程度だろう。
「何を勘違いしているのかは知らんが、余計な推測は答えを拗らせるだけだからやめておけ」
龍宮はその言葉から何を感じ取ったか、ほんの少し頬に笑みを浮かべて、そうか、とだけ返した。
刹那が柿崎達の防護符を解除するため、千草に声を掛けようとしたところ、今度は木乃香が口を開いた。
「のどか」
少し離れた場所で観戦していたため、のどかとの開いた距離に合わせるように、いつもより声を張り上げた木乃香が、のどか
に呼び掛けた。
「今ならまだ間に合うえ。ネギ君も、のどかのやった事ならしゃあないて、許してくれる、言うてたし。別に誰も怒ってへんよ」
勝敗のはっきりしたこの状況に何という物言いだ。何故、今“のどか”を味方に引き入れる必要がある。或いはこの先、学校で
の行動を見越しての発言か。それとも、遊び道具が減る感覚で言っているのか。
刹那が、これ以上余計な事を言わせないよう、木乃香を睨む。



「またいつも通りの生活に戻れるんよ? なんも怖いことはないやん」
戻れる……いつも通りの生活に。
地面に落とした本が偶然開いた、一番新しい白紙のページ。そこに、誰の心の内か、ある人物が描かれていた。
今なら本当に間に合うのか。
安全が欲しい。安定が欲しい。痛いのは嫌だ。木乃香に従ってそれが手に入るのなら……。
今からでも間に合うのなら……。
「のどか! 信じちゃ駄目だよ。嘘に決まってるじゃない! あんなの絶対嘘よ! 動けなくなったからって、負け惜しみ言って
 んのよ!」
柿崎が肩を揺らしてくる。残念ながら、向こう側の隠している事はもう、見えてしまった。嘘ではない。
私が本当の安泰を手に入れるためには、何をすべきなのか。
「木乃香さん……一つ、聞かせて下さい」
木乃香が質問を促した。自分の真意は分かっているでしょう、そう言いたげな顔だった。
「ネギ先生は今、何をしているんですか」
刹那の頭に疑問が浮かぶ。この状況に、ネギ先生が何か関係しているのか。
「ネギ君なら今、エヴァちゃんと遊んどるよ」
その言葉に反応したのは、茶々丸だった。マスターが、と一言、小声で呟く。
「マスターは……マスターは今、どこにいるんですか。『遊んでいる』とは、一体どういう意味ですか」
いつもの抑揚のない声だったが、鬼気迫るものがあった。しかし、木乃香はその質問には答えない。
もう一度木乃香から、のどかの名前が呼ばれる。刹那も亜子も、引き止めた。

胸に手を当て、想像した。エヴァンジェリンの身に起こっている事を。
およそ数秒の間、呼吸を整えると、邪魔な前髪をどけて目を見開き、一言言い放った。
「刹那さん! まだ終わってません!!」
刹那が感嘆の声を上げるよりも速く、空に光が走ったかと思うと、広場に立った八角形の柱が切断された。
陣が解け、敵全員の捕縛が解除される。
もう後戻りはできない。私は木乃香の本心に逆らった。まだ超鈴音がいる、今ならまだ見逃してやろう、という本心に。

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