『 Sing a gospel 』

朝倉の手元から出てきたのは、煙ではなかった。金具を引き抜かれた物体からはけたたましい音が鳴り響き、廊下にこだま
している。学校全体に響き渡っているのではないか、と思える程の、耳を覆いたくなるようなやかましさだった。
「防犯ブザー……?」
刹那と龍宮は状況を把握できず、唖然として棒立ちになっている。
「何やってるんですか! 早く捕まえて!!」
のどかの声も高周波の電子音に掻き消され、うまく伝わらない。
「たっ、龍宮!!」 刹那が指差している方向を見る。廊下の天井だった。
「天井が……膨らんでる」
ブザー音が合図となったのか、めきめきと木の軋む音と共に天井の壁紙が膨張し、上から人が落下してきた。建て付けが悪
いのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
天井から人が生まれてくるようだった。無数の膨らみからぼこぼこと人が現れ、地面に着地する。
数十人、いや、もしかしたら、三桁に届いているかもしれない。それ程の大人数だった。問題は、それら全てが朝倉の顔をし
ている事である。
階段の上からどこかの生徒の悲鳴が上がった。確かにこれは気味が悪い。
「さ、捕まえてみれば?」
先頭の朝倉がそんな事を言い、それを合図に他の朝倉が次々と挑発するような言葉を浴びせかけてくる。
「友達よりもお金を取るって、プライドとか無いの?」
「やだやだ、貧乏人は」
「ほらほら、さっきまでの自信はどこいっちゃったの?」
「命令がないと動けないとか」
龍宮は呼吸を整え、一度気分を落ち着けた。恐らくこれで最後になるだろう。そう思って、怒りを爆発させる準備に入った。
刹那はその準備態勢を今までに何度か見た事があって、ああ、これはマズイな、と朝倉に同情を向ける。
「そうか、これがお前の最後の切り札か。何の目的かは知らんが、私はもう、お前を一般人だなどとは思わない」
弾倉を入れ替えた龍宮は、刹那に声を掛ける。
「刹那、私はもう周りを見ない。一般人を避難させろ」 端的にそれだけ伝えると、射撃の体勢に入る。
「あ、ああ……」
刹那はとりあえず、一番身近なのどかに逃げるよう促した。のどかもその表情を危険だと読みとったのか、直ぐさま方向を変
えて駆け出し、龍宮が瞼を開くと同時に、猛烈な射撃が始まった。



「げっ」
美空は陸上部の練習の最中、最後のコーナーを曲がったところで木乃香の姿を見つけるなり、思わずそう呟いた。
もう何周かして時間を稼ごうか、とも考えたが、結局最後まで待たれるだろうと思い、木乃香の機嫌の悪くならない内にラン
ニングを終えることにした。
「も、もしかして、私に、用事?」
荒い呼吸を整え、スポーツドリンクに口をつけながらそう尋ねる。
「今、かずみんがすっごい面白い事してるんやけど、知ってる?」
「ああ」
見たところ、のどかはいなかったが、またどこかに隠れているかもしれない、と思い、曖昧な返事をした。
まあ、どうせ言うことになるんだろうけど。
「美空ちゃん、何か知っとるやろ」
「……ちゃんと話すから、とりあえず着替えさせて」
シャワーを浴び、制服に着替える。今日の夕飯の当番は私だっけ。いや、もしかしたら、これからはずっと私の番になるかも
しれないな、と嫌な想像がよぎる。
多分朝倉は、今までにない恐ろしい目に遭うだろう。しでかした事が大きすぎる。もしかしたら、どこかに監禁されるかもし
れないし、喋ることすらできなくなるかもしれない。
本当にこれでいいのだろうか。何度も自分にそう問いかけたが、結局私にはこれしか出来ない。
鞄を肩に背負い、木乃香の待つ場所へと歩みを進めた。のどかも一緒だった。
「今の状況は知ってますか」
「え? うん、まあ、知らなくても一緒だけど……」
のどかも木乃香も、美空が覚悟を決めた事を表情から読みとったのか、答えを急かすような事はしなかった。
やだな。空気が重い。
夕焼けの暗さが背中にのしかかってくるように、彼女達の求める答えが重圧となってのしかかってくる。
もう少し朝倉と話がしたかった。こんな思い空気、一人じゃ耐えきれない。
「教室でいい? 今なら誰もいないと思うし」
二人が黙って後を着いてくる。どちらかといえば、今まであまり人より前を歩いたことはなかったんじゃないか、と少しだけ優
越感が沸き起こった。
部活の時間も過ぎた教室には誰もおらず、開けっ放しになった窓から生ぬるい風邪が吹き込んでいる。
自分の席に座り、二人が私を取り囲むようにして、尋問の体勢に入った。
「嘘を吐けないのは解ってますね」 のどかが確認をとる。頷くまでもない。
「話す前に、一つお願いがあるんだけど……」
それから私は、あの夜の出来事を話し始めた。
もう、謝るのさえ辛い。でも、ごめん、朝倉。



刹那は銃弾の雨をかいくぐりながら、教室内に居残った生徒に、危険だからしばらく外に出ないよう、注意を促していく。
朝倉達は数を盾に次々と龍宮に襲いかかり、体力を削り取ろうと必死の抵抗を見せた。
龍宮が身代わりを撃ち取る間にも、天井から新たな朝倉が次々と現れ、前後左右と龍宮の行動範囲を塞ぎながら、攻撃を
加えていく。
一通りクラスに伝達を終えた刹那は、本物の朝倉はおそらく先頭付近にいるだろう、と目星をつけ、壁伝いに走りながら終
点を探した。
「あれか」
龍宮と闘っているグループとは別に、その場所から離れるようにして逃走を計る集団を見つける。顔が同じでさえなければ、
マラソン大会に見えたかもしれない。
「もう終わりだ、朝倉和美」
背中の方から朝倉を斬りつけ、身代わりの数を減らしていく。札の数が尽きてきたのか、龍宮と闘っている人数と比べると、
大分少ないように思える。
何人かの抵抗を受けながらも、上階へと逃げる朝倉を追い掛け、最後の一人になった時には、ついに屋上まで追いつめる
に至った。
「もう諦めろ。逃げ道はない」
屋上に吹き荒ぶ風が髪を揺らし、スカートをはためかせる。袋小路である筈なのに、朝倉の表情は崩れない。
「ないなら、作ればいいじゃない」
ポケットから更に身代わりを出し、朝倉がにやりと微笑んだ。両手一杯に持った札束の様に、どこまでも傲岸で、諦めが悪い。
「出てこい!」
その一言で、朝倉の放り投げた札から再び身代わりが現れる。惚れ惚れするような手際だった。
身代わり達は一斉に屋上から飛び降りたと思うや、伸びた手を繋ぎ合わせると、地面までの一本道を作り上げた。
刹那が追いつくよりも早く、朝倉は身代わりを利用し、昇り棒の用量でするすると地面へと着地すると、その手にカメラを構
えた。
ここから飛び降りるには、羽を出さなければならない。おそらくは、そこを押さえる気だろう。その写真を使って脅し返すつも
りか。どこまでもあざとい奴だ。しかし、そんな手には乗らない。
撮影を諦めたのか、朝倉が再び逃走を図る。
一飛びで降りずとも、窓枠を伝って少しずつ降りて行けば、わざわざ階段を使わなくても下まで降りられる。
地上まで降りた時、朝倉との距離はおよそ100メートル。追い付けない距離ではない。
しかしそこで、はたと思い直す。これは今までと同じパターンだ。そう思ったのとほぼ同時に、目の前に木乃香が現れた。
またか。しかしもう騙されないぞ。無視して先へ進もう。絶対に罠だ。そう割り切ろうとしたが、駄目だった。
複数の身代わりが、木乃香を羽交い締めにして弄んでいるのである。
罠だ。罠に決まっている。しかし、もし本物だったらどうする。いや、それでも朝倉が先じゃないのか。
悩んだ挙げ句、木乃香の救出へと向かい、再び騙された事を知った時には、朝倉の姿はもうなかった。



「ねえ、龍宮さ」
喋った身代わりを撃ち取ると、別の身代わりが言葉の後を継いだ。
「どうしてそんなにお金に拘るの?」
質問には答えず、黙々と撃ち取っていく。
「噂で聞いたんだけどさ、誰か助けたい人がいるとか」
背後から組み付かれ、身体を回転させて振りほどく。
「私にも助けたい人がいるんだ」
肩や頭に降り注ぐ身代わり札の残骸を振り払う。
「その人には、嫌われてるかもしれないんだけどね」
足下に散らばったプラスチックを払いのける。
「だから……助けても、喜ばれないかも」
残り数が十を切り、それらを撃ち取るのに五秒とかからなかった。
「そうか……。お前もか……」

これは掃除するのが大変だな。
床を眺めながら呟く。まあやるのは私ではないが。
背中の方から声がして、木乃香とのどか、美空が一緒に歩いてきた。
「たつみー、お疲れさん」



『 Deceptive Cadence 』  ♪♪

「朝倉さんの目的が解りました」
のどかが歩きながら説明する。
途中、校舎外で合流した刹那が申し訳なさそうに木乃香に頭を下げ、度々の失敗を詫びていたが、木乃香が笑顔で一言、
「ええよ」 と言うのを聞いて、安堵していた。
「今までの行動は全てフェイクです」
「その前に、そこにいる春日は本物なのか?」
龍宮が尋ね、のどかの答えが返ってくる前に一発当てて確かめたが、美空は大げさに痛そうな反応をするだけだった。
「なんでもない、続けてくれ」 美空の恨めしい視線には、気付かないふりをする。
「今までの一連の行動は、私達の怒りを誘うためだったんです」
昼食から放課後までの騒動を思い返し、なるほど、と頷く。
「それで?」
「私達の怒りを買い、手を上げるまで待ってからその場面をカメラに収め、それを証拠としてどこかに知らせるつもりだった
 ようです」
そういえば、と刹那が最初に朝倉を殴りつけた時の事を思い出し、あの時確か、モーター音のような音が聞こえた、と説明
した。
「しかし、それならわざわざこんな事しなくたって、普段から出来たんじゃないですか?」
「それだと、私に頭を読まれて、撮影する前に取り上げられるか、後々ばれてしまいます。さっき朝倉さんの身代わりで確
 かめたんですが、やはり身代わりの思考はある程度本人がコントロールできるみたいです」
「身代わりを使って、気付かれないように撮影するのが目的だったわけか」
「はい、普通の人間なら 『撮影する意識無くして撮影する』 のは不可能に近いですが、身代わりならそれが出来ます。然
 るべきタイミングで、 『ボタンを押す』 という行為のみを実行すればいいわけですから。恐らく、役割を分担していたんだ
 と思います。 『あの場所にカメラを向ける』 と 『ボタンを押す』 という行為を分けて、それぞれ命令を出す、と」
「撮影係の身代わりを消せば、証拠隠滅ができるな」
「ええ、ですから恐らく、芸能人を出したのも、朝倉さんの撮影のためだったのかもしれません。外に出てマスコミに売れば、
 間違いなく話題にはなると思いますから」
「しかし、そいつの頭は本当に信用できるのか?」 龍宮が美空を指差す。「推測、とかじゃないだろうな」
「春日さんの頭を読んだんですけど、一昨日の夜、綿密な作戦を立てたノートが見つかったそうです」
「それが罠だという可能性は?」
「それはこれから、行って確かめてみれば分かるえ」



身代わり達から集めてきたカメラを回収し、スポーツバッグの中に詰め込む。
これで、やるべき事は全て終わった。後は彼女達に気付かれないようにここから脱出するだけだ。
体育倉庫の扉を開け、できるだけ音を立てないように閉めた。運動部に倉庫を貸してもらった礼を言い、鍵を閉める。もう
すぐ閉校の時間だ。人が少なくなって怪しまれる前に外に出なければ。
「こんな所で何やってるんです? しずな先生」
体育館の出口で待ち構えていた五人が、こちらを取り囲むようにして立っていた。
「あら、何か用かしら?」
「無駄な演技はいい。事情はこいつから全て聞いた」
美空を指差した龍宮が銃弾を放つ。相手は消えることなく、唖然としながらその場に突っ立っていた。
龍宮の手が伸び、かつらを引き剥がす。
「ゲームオーバーだ」
「どうして……」
美空は終始目を逸らしたままで、言葉を交わそうという気は全くない様子だった。
「丁度ええわ。ちょっと体育館借りよーか」
木乃香達に続いて、龍宮が朝倉の髪の毛を鷲掴みにしながら引きずって行った。
「どうして……? どうしてこんなところで裏切るのよ! どうして!? どうしてよ!!」
美空は瞼を閉じて身体を押さえ、沸き上がる震えに必死で抵抗した。
「そうや、せっちゃん、夕映がまだ図書館に残ってると思うから、連れてきてくれる?」
「分かりました……」
人質を取られた事を根に持っているのか、刹那にいつもの様な躊躇いは見られない。
「あ〜あ、美空ちゃん、これから大変やえ?」
大変? 大変って、どういう意味だろう。考えようとしたけど、嫌な考えしか頭に浮かばず、考えるのをやめた。
龍宮は依然、厳しい顔つきのまま、誰かを諭す様に言った。
「やる前の心構えと結果は、必ずしも一致するわけじゃない」

  第四話に戻る