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「それで、この塗り潰された部分は何なのですか?」
「ここに書いてあるところまでが、美空に見せた部分。つまり偽のゴールまでの道のりで、黒く塗り潰したのは、それ以外の
見られちゃいけない部分、作戦の本筋だね」
あの夜、外出から戻ってきた朝倉は、なぜか少し憂鬱な表情を浮かべていたが、私と目が合うなり、「見たでしょ?」 と、ま
るで当然であるかのように尋ねてきた。
「もう共同責任だからね。逃げられないよ」
逃げられない、と言いながらも、冷たく突き放すような言い方で私に圧迫をかけ、それから、さんざん夕映の悪口を並べ立て
た。その悪口ぶりが、自らの印象を貶める事に尽くしているようにも見えて、その時の私はまだ裏切る決心がつかなかった。
なにか変だな、と思った。
悪口が非常に子供じみていて、とても普段の朝倉から出てくる言動とは思えない。どこか無理をしているようで、朝倉はそん
な稚拙な理由で人を嫌いになったりしない、と私は思っていた。
「もし裏切るんなら、本屋こにれ以上頭の中読まないようにね」
悪口が終わったと思ったら、朝倉は唐突にそんな事を口走った。
その時点ではまだ、朝倉が何を言いたいのか、はっきりとは分からなかった。ただ、自然とそういう方向に誘導しようとして
いるんじゃないか、という意志は、なんとなくだけれど、感じ取れた。
だから、事態が収拾して朝倉が龍宮に引きずられて行く時には、罪悪感で押し潰されそうになった。
美空はその出来事を、夕映の悪口の部分は適当に誤魔化しながら説明した。
「心臓が潰れてしまうかと思いましたわ」 美空があやかの口振りを真似する。
「ごめんアル」
「で、そろそろ教えてよ。教室にいる朝倉は何で消えないの?」
ああ、簡単簡単、と朝倉が言うと、数学の難問を前にして苦戦している時、先生に同じ言葉を掛けられたのを思い出した。
「美空さ、何であの身代わりを本物だと思った?」
「え、だってそりゃあ、真名の弾食らっても消えないからじゃん」
「そう、そこがミソ」 朝倉が大仰に人差し指を美空に向ける。
「ハトにおける迷信、という心理学の実験があるです」 夕映が自分の番だとでも言わんばかりに、得意分野に関する説明に
乗り出した。
「 B・F・スキナーという心理学者が行った実験です。ハトをかごの中に入れ、一定間隔で自動的に餌の出てくる装置を使って
餌を与えます。すると間もなく、ハトは奇妙な行動を示すようになるのです。例えば、たまたまハトが左に頭を向けていた時
に餌が出てきたとします。そうした偶然が何度か重なると、ハトは誤って『頭を左に向ければ餌が出てくる』と学習し、それで
ますます同じ行動を繰り返して、いずれ餌が出てくると、確信を深める……実際には、ハトの行動と餌が出てくる間隔には、
何の関係もないのです。スキナーはこれを『ハトにおける迷信』と呼んでいますです」
「つまり……どういうこと?」
「龍宮の弾と、身代わりが消える、って結果とは何の関係もないってこと。身代わり達には、龍宮の弾が一発当たったら消え
るように命令を出しておいたの」
「まず、弾を一発当てれば身代わりが消える、という先入観を植え付けます。それは裏を返せば、“弾が当たっても消えなけ
れば本物”という誤解を生むのです。『ハトにおける迷信』の偶然の部分を、恣意的に刷り込んだわけです」
「実はあの身代わり、目標を達成するまでは、相当な耐久力があるのよ。修学旅行では、古の蹴りが入っても無事だったし」
「え、じゃあ、朝倉はいつからここにいたわけ?」
「最初から」 朝倉は得意げにひらひらと手を振った。 「ずっと安全地帯にいました〜」
「ハァ!?」 美空が思わず目を丸くする。「なんだそりゃ!?」
「夕映っちは、どさくさに紛れて回収。トイレで身代わりと入れ替わってもらった」
美空は肩の力が抜け、よろよろと椅子に身体をもたれさせた。
私の胃がキリキリと痛んでいる間、朝倉はパソコンの前であの騒動を楽しんでいたわけだ。多分、水着で。
「じゃあ私も呼んでよ! あたしもこっちで優雅に遊びたかったわ!」 身体を乗り出して抗議する。 「 そうだよ! そうすれば
あんな回りくどいことして私が裏切るようにし向けなくても、私の身代わりにやらせれば良かったじゃん!」
「ま、まぁそうなんだけどさ。取り敢えず最後まで聞いてよ」
美空を手で制し、残りの説明に入る。
「 今回の作戦の最終目標は、いじめを止める事。つまり、今の状態を維持しなきゃいけないわけよ。身代わりがいくら頑丈っ
て言っても、耐久力は無尽蔵ってわけじゃない。大きな肉体的ダメージを受ければ元の紙切れに戻っちゃうし、そうなったら
今の均衡状態が台無しになっちゃう。だから、身代わりの私と夕映っちには、耐久力が危なくなったら然るべき場所に行っ
て、隠してある残りの身代わりの札に私の名前を書くよう指示を出してあるの。そこで新しい身代わりとバトンタッチ。同じ名
前であれば、傷とかも継続されるし、耐久力はリセットされるから、またしばらく保つってわけ。だから、その状態を維持する
ためには、残り少ない札をちょっとでも節約したかったのよ。私と夕映っちはセットでいじめられるからしょうがないとして、三
人分だと多分、すぐになくなっちゃうと思ったのよ」
ううむ、と美空が腕を組むと、仏頂面ながらも納得した様子を見せた。
「……これからどうすんの? テストとかさ」
「まぁ今回のテストは諦めるよ。勉強はいい点を取るためにするもんじゃないし。ここでも勉強はできるしね」
良い点数取る人に限ってそういうこと言うんだよなあ、とは口には出さない。
「魔法に関する本で、日本語で書いてあるやつがあったから、しばらくここに留まって調べてみるよ。この魔法の正体も知りた
いしね」
美空は改めて周辺を見回し、それも結構楽しそうだな、と思う。これだけ頑張ったんだから、朝倉にはそれぐらいの特権はあ
ってもいいか。
「私はどうすればいい?」
朝倉は美空の質問に、新しいメモ用紙とペンを取り出して、何事か書き始めた。
「これを明日菜に届けて欲しいの」
メモ用紙を受け取り、数行だけ書かれた文章を読む。
【明日菜へ
私は無事。奴らの執拗ないじめから逃れ、3Aから脱出することに成功しました。
今は誰もいじめられてないけど、いつまた標的が移り変わるか分からない。
だからもし、あいつらを裏切る決心がついたなら、私の所に来て。いじめは止められるから。
明日菜がいてくれれば、心強い。 図書館島より 朝倉和美】
「これを、明日菜に……?」
「うん」
「なんで明日菜なの?」 正直美空には、木乃香に拘っている明日菜が向こうを裏切るとは考えにくかった。
「まぁ、ちょっと、いろいろあってね」
「ふぅん」 まぁ、朝倉が言うのなら、と美空はまた腑に落ちないながらも、いずれその考えも聞かせてくれるかな、と割り切る
ことにして、メモ用紙を鞄の中に仕舞う。
「でもさ、いいの? 私にこんな事話しちゃって。私また学校に戻るんだよ?」
「頭は読まないで、っていう約束は取り付けたんだよね?」
「うん……。けど、向こうが約束を守るとは限らないでしょ」
「大丈夫」 朝倉が自信ありげに答える。
「あれだけ強固なグループを維持するには、それなりの信頼が必要になってくる。何から何までデタラメなんじゃ、ああまで恐
怖で人を縛りつけたりできないよ。そのへん、やくざに通じるところがあるかもね。だから覗くとしても、まだ何か裏があるん
じゃないか、って疑う最初の数日だけだと思うよ。結果が安定してるんだったら、別に美空の頭を覗く必要もないでしょ」
でも、それだって確証があるわけじゃない。美空はそう言おうとしたが、朝倉の表情が憂いを帯びたのを見て、その言葉を飲
み込んだ。
「それにさ……それじゃあ、あんたが辛いでしょ」
美空はこれまでの説明を聞いて、朝倉が親友であるさよを失っている事を、ようやく思い出した。作戦の説明をしている時の
朝倉は、一人の大切な友達を失った事など微塵も感じさせないぐらい、生き生きとしていたのだ。
朝倉は前に進んだ。悲しみをバネにすることに成功したのだ。それはそう簡単な事じゃない、ということを美空は知っていた。
「でもさ、身代わりとはいえ、ちょっと可哀想な気がするよね。痛みとかは無いんだろうけどさ」
「あ、その点は大丈夫」
夕映が思い出し笑いの様に、ニヤリと口元を歪めた。
「身代わりに書いた私の名前の下にね、ちょっとだけ文字を書き加えておいたの」
朝倉が紙とペンを取り出し、自分の名前を書き始めたかと思うと、名前の下に円括弧で別の文字を書いた。
朝倉和美(ドM)
美空が飲んでいたジュースを鼻から吹き出して咽せる。 「え、これ、アリなの!?」
そんな反応を見て、朝倉も夕映も腹を抱えて大笑いしていた。
「さて」
椅子から立ち上がった朝倉は、海岸線の方へと足を進める。
「遊ぼうか。今までの分」
おうよ、と美空と夕映が朝倉を追い掛けると、朝倉は両手を上げて、天井の光の射し込んだ方向へ、取り戻すぞー、と叫んだ。
♪
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誰かの血を被ったのか、それとも自分の血なのか、怪我をした明日菜が空から落ちてきたのは、しばらく経ってからだった。
先に来てこれまでの事情を説明していた美空と、朝倉、夕映が明日菜の元へと駆け寄り、手を差し伸べる。
「おかえり」
美空には、朝倉が言ったその言葉の意味が理解できなかったが、それよりも目を引いたのは、明日菜が背中に抱えた画材
道具だった。一応濡れないようにはしてあるが、中身が無事なのかどうか、あやしい。
「どうしたの? その道具」 朝倉が尋ねる。
「写真……」 明日菜は相当疲れているのか、息も切れ切れに、そう言った。
「ちゃんと……写って、なかったって……だから……私が……」
ぐしゃぐしゃに濡れた明日菜の顔は、落ちた海のせいでも土砂降りの雨の中を走ってきたからでもなかった。
「私が……描くから……」
「バカ……」 朝倉はそんな明日菜を愛おしそうに見つめ、優しく抱きしめてやった。
「それじゃ、あんたが入らないでしょうが」
第四話 終
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