『朝倉/Trial』
一番身近な人じゃないかな。
あれは多分、自分には期待するなよ、という意味だったんじゃないだろうか。今はこうやって平気で話しているけど、
私はあなたの知らないところで勝手に裏切っちゃいますよ、そう言っているように聞こえた。
いつもより早く寮を出た朝倉は、学校まで続く並木道をぼんやり仰ぎながら、今朝見たテレビの内容を思い出した。
情報化社会の危険性について、興味があるのかないのか分からない無表情なアナウンサーが読み上げていた
その内容は、今現在自分の置かれている状況と似ていた。
情報がなければ世の中に置いていかれる。しかし、増え過ぎた情報は、人々に混乱をもたらす。
結局何が言いたかったんだろう、と思ってみても、その答えにさして興味を抱いていない自分に気が付いた。
えてして正確な情報は、自分から探さなければ見つからないものだということは、幼い頃から知っていたからだ。
肩の後ろにだらしなくぶら下げていた鞄を頭の上まで持ち上げ、両手で大きく伸びをした。
「ちょっと早過ぎたかな……」
学校までの坂道には、遅刻ギリギリで登校する慌ただしい生徒達の姿はなく、朝倉の知らない穏やかな空気と、
早朝に登校する物好きが数人だけ、自分を含め、もたもたと歩いていた。
案の定、教室にはまだ誰もおらず、この学校で起きている異変を調べるには絶好の時間帯だった。朝倉は鞄を
自分の机に置いて一息吐くと、持ってきたデジカメで教室をありとあらゆる角度から撮影し始めた。教壇から、
ドアの前から、教室の隅から。そして、廊下、校庭、保健室、屋上へと順に撮影していく。もしかしたら、撮影した
映像にそら恐ろしい怪奇現象でも写り込むのではとささやかな期待感を持ったが、そう都合よく異変が拝める
わけではなかった。
そもそも、異変を感じたのは“人”なのだから、モノを撮っても異変が現れる筈がないではないか。まぁ、それが
分かっただけでも収穫としよう。と無理矢理自分を納得させた。
それにしても、なんと穏やかな空だろう。朝倉は空を見上げる。なんとなく屋根のある場所にいたくなくて、屋上に
出ていた。日差しは雲に隠れて眩しさは無く、丁度良い速さの風が頬を撫でた。早朝だというだけで、こんなにも
朝の景色は変わるものだったのか。これなら、毎朝早くに登校する物好きの気持ちも分かる。
「何やってるですか」
「うわ、びっくりした!」
片手に分厚い本を抱えた夕映が、いつの間にか朝倉の側に佇んでいた。とっさに、足音はあっただろうか、いや
もしかして足が付いてないんじゃないか、と疑い、彼女の足に目をやったが、ちゃんと足は二本付いていた。
それ程に突然だった。
屋上の縁に肘を突いて呆けていた朝倉は、とっさの事に挨拶の言葉も忘てしまっていた。
「た、たまには朝の学校もいいと思って」
「朝倉さんはいつも何時に学校に来てるですか」
「あ、あぁ、そうだった、いつも学校に来るのは朝だよね。ハハハ。えっと、ところで、えっと、おはよう」
「おはよう……です」 不思議そうな顔をしている。そりゃあ、わけの分からない挨拶の仕方は不思議だろう
けど、夕映はむしろ、朝倉が挨拶をした事を不思議がっているようにも見えた。
「夕映っちはどうしたの?こんな朝早くに」
「図書委員の仕事です。少なかったので、すぐに終わったですが」
すると夕映はもっと早い時間から登校して、委員の仕事をこなしていたのか。図書委員にならなくてよかった。
「ところで夕映っち、最近何か変わった事ない?あぁ、もちろん、珍しく早くに登校したクラスメートから、
 聞いたこともないような挨拶が返ってきた事以外でね」
「変わった事、ですか?」
目が虚ろで、顔色もあまり良くない。何か、トラウマを抱え込んだ人みたいだった。少し訝しがる様子を見せながら
も、何かを考えている。
「特に、何もないです」  嘘をついている様子はなかった。少なくとも、昨晩の美空よりは。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「そうでしょうか。別に、いつも通りですが」  特に慌てている様子もなく、これ以上問いつめる事は無駄に
思えたため、自然に会話が途切れる。別にそれ自体には何の不都合もないのだけれど、沈黙というのは常に
後ろから誰かが、喋らなければならない、と責め立ててきているようで、朝倉は嫌いだった。
「いい天気だよね、今日は。私、名前の割には朝って苦手で、朝早くから登校してる人の気が知れなかった
 んだけど、いつもこんな天気なら、それも悪くないかも」
夕映からは何も返ってこなかった。彼女の背後には“喋らなければならない魔”はいないのだろうか。
「夕映っち、今日大人しいね。やっぱり何かあったでしょ?」
二人で屋上の縁に頬杖を突きながら、青が一層深い遠くの空を眺めていた。また沈黙が邪魔をしに来る。

「ねぇ、夕映っち、写真撮ってもいい?」
唐突に尋ねてみた。常に無言の間が背中を押しているから、何をやっても唐突になってしまうのは仕方のない
事だ。
「一体、何の写真ですか」
「もちろん、夕映っちの写真よ。なんていうかこう、プリクラな感じでお願いしたいんだけど」
一体何の写真を撮られると思ったのか、道端で突然声を掛けられた、いかがわしい格好の人間に写真をせがま
れているような顔になった。確かに、突然写真を撮らせてだなんて、気持ち悪いお願いかもしれないけれど、何も
そこまで嫌そうな顔しなくてもいいじゃないか。
「別に、それならいいですが」
朝倉は夕映の肩に腕を回し、太陽を斜角に捉えながら、夕映と一緒に写り込んだ。余った方の手でピースサイン
を作る。それと念のため、余った表情筋で笑顔も作った。
「サンキュ、夕映っち」
夕映は、美空と同じ空気感の違いを持っていた。昨日までの同一人物とは違う空気感。早起きなんてするんじゃ
なかった、と思った。きっとこれから、何か良くない事が起こる。事件が起こる事を知っていながら、わざわざ大雪
の日に洋館に泊まりに行く気分だった。
時間が経つのが遅い。私はこれから殺人事件が起こるのを、黙って待っていなければならない。まだ何も起きて
いないのに、みんなが集まったところで、あなたが犯人ですよ、と言ってやりたい気持ちと似ている。
「教室、行かないの?」
「まだ10分もあるです」
そうか。確かに10分は長い。10分も待たされなきゃならないんだから。
始業のチャイムが鳴った。教室に全員が揃った合図だ。しかし、この足はさっきからそこへ行く事を拒否している。
止まっていてもしょうがない。行かなければ。異変を確かめるためではない。ただの思い過ごしであることを確かめ
るんだ。
扉に手を掛けて、目を瞑り、呼吸を整えた。大丈夫、きっといつも通り。何も変わったことなんてない。そう自分に
言い聞かせる。息を止めながら端まで一気に扉をスライドさせ、開けた。

ゆっくりと瞼を開く。胸から一気に空気が抜けたように溜息を漏らした。目の前に広がるのは、いつもの3-Aの、
呑気な朝の風景。
自分の想像力にアホらしさを感じた。クラス全員で光り物でも持って、一斉にこちらを向いて悪魔のような微笑み
を向けてくるかと思ったが、どうやら考え過ぎだったようだ。それまで感じていた緊張感がほぐれ、肩の力が
一気に抜けた。黒板と教壇の間を通り、溜まっていた肩の力を放出するかのようにどっかりと椅子に座った。
アホらしい。そんなわけないじゃないか。
知り合いの何人かがいつもより少しだけ暗かったのは、きっと何か言いづらい事でもあったんだ。それが偶然
重なっただけだ。そんな大げさな話じゃない。もうそれでいいや。
「おはようございまーす」
聞き慣れた声がドアから出てきた。もう昨日のようなおぞましい感じはない。
「では、出席をとりまーす。明石裕奈さん」  そうだ。きっと気のせいだ。 「朝倉和美さん」
弱々しく返事をすると、改めて机に伏した。緊張が一気に解けたせいもあるだろうが、早朝に起きたのが影響して、
眠気が襲ってくる。せめてホームルームだけは聞いておかないと。
「近衛木乃香さん」
軽快な返事が続く中、何か妙な違和感が、頭の中にある(と朝倉が考えている)第六感の糸に引っ掛かった。
「早乙女ハルナさん」
(あれ……?)  いや、きっと気のせいだ。眠気のせいでそう思っただけだ。
「桜咲刹那さん」  昨日からの疲れも溜まってるし。
一度不信感を持った事実には、徹底的に考える癖がついつい出てしまう。何でもない、と自分を納得させようとする
が、うまくいかない。朝倉の頭の中にある警報装置は、さっきからずっと最大ボリュームで鳴り続けていた。

眠気は跡形もなく吹っ飛び、頭が再び活動を始める。
直接的な攻撃とか、そいう感じではない。これは何だ。この感覚は一体何だ。一瞬だけ、時間が飛んだ様な気がした。
意識を集中させ、感覚を研ぎ澄ませる。微かに聞こえてくるのは笑い声。楽しげではあるが、それはごく一部の嘲笑
だった。そう、彼女達は笑っているんだ。
どうしてこんな明確なサインを見落としていたんだ、私は。
教室の騒音がいつもより小さい。私が教室に入った時からはほとんど変わっていないが、決していつも通りなどでは
なかった。多分、普通の人なら気付かない程度だが、私には分かる。なぜかみんなが、出席をとる先生の声に耳を傾け
ているのだ。クラスの雑談がその間に入っている。昨日までの3-A、というか、普通とは逆だった。
私は何をおかしいと感じたんだ。クラスの嘲笑う声、違う。もうちょっと前だ。
「佐々木まき絵さん」
そうだ。出席番号だ。時間が飛んだような感覚があったのは、出席番号が飛んでいたからだ。誰の?
「龍宮真名さん」
裕奈が呼ばれ、そして私が呼ばれた。完全に目が覚めた頃には、木乃香が呼ばれた。
そうだ……5番だ。朝倉は体を捻って斜め後ろを振り返る。亜子は何か悪いクジでも引いてしまった人の様な、
一際沈んだ顔を見せている。
出席番号が飛ばされた。これは一体何を意味するのか。単なるミスだとしたら、なぜ誰もその事を指摘しないのか。
いないことにされた。どうして。
「それでは皆さん、今日一日頑張ってくださいね」
少しずつだが、この教室で起きている問題の輪郭が浮かび上がりはじめた。この空気を、私は知っている。
しかし、私が直面した問題が“それ”だとして、私は一体何をすべきなのか。
ネギと思しき人物が教室を出て行った後、クラスに再び喧噪が戻った。自分の目的を確認するように、朝倉は
改めて亜子の方を振り返り、自分に問いかける。
決まってるじゃないか。巨悪の嫌いな私は、巨悪と戦わなきゃいけないって、数百年も前から決まってるんだ。
私がやらなきゃ、私自身だって助からないかもしれない。可能性は低いが、私以外の全員が魔法にやられて
しまった可能性だって、ゼロではない。
決心はついたものの、迂闊には動けない。只のいじめならいいが、それだけで終わる気はしなかった。このクラス
の人格は、一体どこまで歪んでしまっているのだろうか。誰が敵で、誰が味方なのか。まずはそこから調べなけれ
ばならない。
今判っている事を整理してみよう。まず間違いなくネギ先生は敵だ。出席番号をわざと読み飛ばす先生は、例え
人柄が良くても、この私にとっては敵だ。しかしそれは、こちらにとってはかなり不利になる。気軽に魔法の事に
ついて相談できる相手がいないのだ。亜子を守ったとして、どうやってこのクラスを元に戻せばいいのだ。
朝倉は視線をエヴァンジェリンの方へと移した。彼女はいつものように、クラスに対して全く興味がなさそうな態度
を貫いていた。魔法に関する知識量で言えば、彼女の方がネギ先生よりも上だが、果たして私に味方してくれる
だろうか。
魔法先生に頼るという選択肢もあるが、一応私は魔法を知らないということになっている。やむをえない状況
ではあるが、最後の手段として考えておこう。いずれにせよ、もう少しクラスの動きを見てみないことには何とも
言えない。

一時間目の授業が始まり、二時間目の授業が終わった。三時間目の授業が始まっても、何も起こらなかった。
授業中は終始背後に気を配り、手鏡などで亜子の様子を確認していたが、さして気になる行動はなかった。
壮大な思い違いだったのだろうか。でも、亜子は常に沈んだ表情を浮かべる程、世の中に対して絶望は抱いてい
ないし、人生の虚しさを謳ったりもしない。
直感の外れた悔しさか、もしくは勢いづいた正義感が空回りしたせいか、昼休みに入った途端にやる気が全身を
抜け出していく感覚にやられ、再び机に伏した。
何もかも分からない。何も起こってくれないのだから、分かりようがない。かといって、誰かに話しかけても正しい
情報が得られるとは限らない。
情報のない場所のなんと苦痛なことか、と頭を抱える。きっと私が砂漠地帯なんかに行ったら、水よりも先に情報が
なくなって死んでしまうんではないだろうか。
改めて手鏡を開いてみたが、亜子の様子に変化はない。溜息を一つついて、象亀の観察の方がまだ面白いかも
しれない、と思って手鏡を閉じようとした瞬間、亜子が後ろを振り返った。
亜子が体の向きを変えたせいで、より後ろの方まで映してくれた手鏡には、教室の隅に人だかりができている事を
知らせてくれた。
そういえば、目が覚めた頃私が聞いた出席番号は6番だった。


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