『Room 643』

ノックした扉から顔を出したのは木乃香で、 中にはネギしかいない。 二人共、 明日菜がいない事などまるで感心がない
かのように、 部屋でくつろいでいた。 むしろ、 わざわざ朝倉達が尋ねて来た事に驚いている様子が窺える。
「どうしたん? こんな時間に」
目を丸くした木乃香のその物言いは、 いじめグループのリーダーだということを忘れさせる程、 普通の人の声色だった。
「明日菜、 いる? 携帯が通じないんだけどさ」
突然裏切ったクラスメートの質問に対して、 まともな答えが帰ってくる筈はない。 そう思ったが、 意外にも素直に答えてくれた。
「丁度良かったわ。 連れて帰ってきてくれへん? まだあそこにいると思うんやけど」
「あれ、 イヤに素直だね。 てっきり教えてくれないかと思ったのに……」
「ネギ君がな。 『僕の責任問題になっちゃうから、 行方不明は勘弁してくださいよ〜』 とか言うんやもん。 ウチが隠したる
 から平気やて、言うたんやけどな。ネギくんにも困ったもんやなぁ。」
そういえば、 木乃香は普通の嫌がらせで満足する人間ではなかった。 自分の頭で考えた最高のやり方で、 相手の精神を追い
つめるのが、 彼女の趣味なのだ。 朝倉が呆れて頭を抱える。
「はいはい、 自分達で助けに行く気はないのね」
そんなぶっきらぼうな言い方をしても大丈夫なのか、 と夕映が心配になった。 夕映にとっては、 朝倉がなんのためらいも
なしにここの扉を開けた事にすら驚いていた。 今だに木乃香の後ろから出てくる、 黒いオーラの前に足が竦んでいる。
「ふふ……強くなったやん、 かずみん。 ウチ楽しみやわ。 あ、 そうや、 明日菜の泣き顔撮ってきてぇな。 そしたら、
 今日の事は全部なかった事にしたげてもええよ」
そうだ。 こうやって相手にチャンスを与える事で、 相手の心に揺さぶりをかけてくるのだ。 許してくれるのなら、 なかった
事にしてくれるのなら。 そうやって、 何度も揺らいでいる内に、 いつの間にか木乃香のペースに引きずり込まれていく。
朝倉は、その深く暗い湖の底の様な視線に負けじと、 木乃香を睨み返す。 覚悟は決めたんだ。 これ以上、 友を裏切らない
と。 そして、 誰に裏切られようが、 立ち向かうと誓ったのだ。 呑まれてたまるか。
「するわけないでしょ、 そんなこと」
そう言い捨て去って、 木乃香達の部屋を後にした。

寮の門番である管理人のおばさんは、 簡単に外出の許可を出してくれた。 元の麻帆良でも評判の良かった50代の管理人さん
は、 この世界でもあまり変わりはなく、 門限に関しては結構寛容だったため、 デートで頻繁に門限を破っていた美砂がよく
誉めていたのを憶えている。
半月が頭上に見えた。 気温はさほど低くはなく、 半袖のシャツ一枚で事足りる程で、 緩く吹き抜ける風が気持ちよく感じら
れた。 空気も澄んでいて、 この街灯りにしては星もよく見える。 スポーツシューズに履き替えた朝倉は、 懐中電灯の電池を
確かめると、 門の出口でストレッチをする美空を見つけた。
「大変だねぇ陸上部も。 こんな時間に」
「世界大会が近いんだ。 コーチが厳しくてね。 麻帆良学園駅前の三駅隣まで行くんだけど」 真顔で美空が答える。
「わぁ奇遇」
「しかも最近は電車で移動するトレーニング方が有効らしく……」
美空の言葉が終わらない内に、 夕映が遅れて到着した。 念のため、 自室から方位磁石を持ってきたのである。 図書館探険部
である夕映の必須アイテムだった。
「大丈夫だとは思いますが、 終電には気を付けなければならないです」
「あのロープの近くにいてくれればいいんだけど……」
「それはないんじゃないかな。 出口を探そうとすると、 どうしたって歩くでしょ。 むしろ元の位置に戻ってる可能性の方が
 低いんじゃない? ロープは結構な長さ使ったから見つけ易いと思うけど、 明日菜が反対方向とか行っちゃったりしてたら……」
取り敢えず、 急いで例の場所に戻ろうという事になり、 駅までの道を走った。 今日は走ってばっかりだな、 という愚痴は
電車に乗ってからでも遅くはない。
いざ電車に乗ってみると、 会社帰りのサラリーマンがそれなりに乗っていて、 座って移動、 という贅沢はできなかった。
せめて寄りかかれる場所に、 ということで、 三人共ドア際に陣取った。 座れなかった落胆から、 大きな溜息を漏らした朝倉が呟く。
「こういうときって、 何もしてくれないよね」
「神様が?」
「うん、 せっかく人が良いことしようとしてる時にさ、 神様がそんなんだから、 みんなやる気をなくしちゃうんじゃないかな」
「みんなって、 誰のことよ」
「主に、 神様を信じてる人とか、 その中でも特にシスターとかさ」
「それは、 世のシスターが可哀想だと思う」
「じゃあ、 主に美空とかさ」
「世の美空さんが可哀想だ」
「二人共、 どうしてそんなに余裕でいられるですか」  呆れた顔で二人のやり取りを見ていた夕映が言う。「明日菜さんを
止める自信はあるのですか? 駅まで連れて行ったら、 復讐のために何をされるか分からないのですよ」
朝倉と美空が顔を見合わせる。 夕映にはその様子が息の合ったコンビのようで、 少し可笑しくて、 羨ましかった。
「ぶっちゃけ、 何というか」
「そこまでは考えてないというか……っていうか、 朝倉が考えるでしょ、 普通、 言い出しっぺが」
「あたしが? なんで?」
「だから、 言い出しっぺが」
「言い出しっぺが全ての案を考えなきゃいけない、 って法律でもあるの?」
「いるよね、 逃げ口上の時だけ、 口が達者になる人って」
二人のやりとりは、言い合いというよりも、まさに息の合ったコンビ漫才を見ているようだった。 言葉の投げ合いが、
信頼関係の元に成り立っている。 今までの嫌がらせの経験から、 集団に恐怖を感じるようになっていた夕映は、 この
二人組はなんだか安心して側にいられる、 と思った。 円満な人間関係が目に見えるものだとすれば、 きっとこんな感じ
だろう、 とも思った。

「さすがにここからは走らない」 駅を出てから美空がそう言ったので、 誰も反対はしなかった。 十五分ほど歩いて駅から
例の林までの最短距離を戻り、 草むらに足を踏み入れた。 幸いなことに、誰かがロープを見つけて撤去してしまう、 とい
うようなことはなかった。 朝倉が先頭で懐中電灯を点け、 ロープを握りながら奥へと進んで行く。 途中から美空の仕掛け
たトラップ用のロープと入り交じり、 滅茶苦茶になっていたため、 まずは道標以外のロープを撤去する。 作業中、 大声を
出して明日菜に呼び掛けてみたが、 反応はない。
「やっぱ反対方向行っちゃったかな」
「そりゃあ、 わざわざ障害物のある所をうろついたりはしないでしょ」
更に奥地を探すため、 先程解いたロープを道標用のロープに結びつける。 そのロープの長さが限界に達すると、 いよいよ
お手上げになってしまった。
「私達が入った廃墟の中にいるかも」 理由もなく、 朝倉はそう思ったが、「どこにあるのよ」と美空に言われ、 困って
しまう。 一度元の道に戻って、 例の建物を探した方がいいかもしれない。
「ちょっと待つです」  夕映が声をあげて、近くの木を指差した。 朝倉が懐中電灯を向けると、 刃物のようなものでつ
けられた、 大きめの切り傷があった。 改めて辺りを確認してみると、 他の木にもちらほらと同じものが見える。明日菜の
アーティファクトかどうかは分からない。 もしかしたら、 同じようにこの場所に迷い込んだ人が、 偶然刃物を持っていて、
目印につけたのかもしれない。
とりあえず、 三人がお互いを肉眼で確認できる位置までの範囲を捜索してみると、 美空、 朝倉の探した範囲には傷は少なく、
数メートルで見つからなくなってしまった。
「やはり、 反対方向へ行ったらしいです」  戻って来た夕映が言った。
そこから更に奥を探索するため、 長さの足りなくなったロープを木にくくりつけ、 そこに夕映を立たせた。 夕映の声の届く
範囲までで美空を目印に立たせ、 そこから朝倉が一人で奥へと進む。
「ねぇ、 そろそろ見えなくなるんだけど、 私の声聞こえてるー?」  美空が叫ぶと、 爪の先ほどの大きさになった朝倉が、
かろうじて手を振っているのが見えた。 声は届いている筈だが、 朝倉は更に奥へと進むつもりだ。
「ねぇ、 あんまり進むと危ないって。 こっちは懐中電灯ないんだから、早く戻って来てよー」
遠くの方から、 分かったー、 という声が聞こえてきたが、 朝倉が本当に分かっているのか、 あやしい。 暗闇のせいで、 夕映
の位置を確認するのも危ういというのに。
「じゃあさ、 見つけやすいように、 ずっと歌っててよ。 トランプの罰ゲームはそれでいいからさー」

邪魔な雑草を掻き分け、 傷を確認しながら、 暗闇の奥を照らし、 進む。
傷の数がだんだんと減ってきている。 普通、 迷路の出口が見つからない時は、 一度通った道は避ける。 自分のつけた傷を見た
のなら、 移動するルートを変える筈である。 傷が少ないということは、 その辺りを通って先へ進んだ可能性は高いが、 この傷
を追えば、 明日菜と同じ迷い方をする。果たしてそれで明日菜の元まで辿り着けるのだろうか。 美空の歌はもうとうに聞こえ
ない。 普段の生活ではあまり聴いていたくない内容の歌ではあったが、 この暗闇では思いの外頼りになった。それがもう、 聞
こえない。 そろそろ引き返そうかと思った頃、 見覚えのある建物が視界の奥に見えた。 暗闇ではっきりとは見えないが、 間違
いなく例の廃墟だった。 入口に散乱したがらくたを蹴り分けながら、 奥を照らして明日菜に呼び掛けた。 廃墟然とした、 威圧
感の塊の様な外観の割に、 そう広くはないため、 簡単に見つけることができた。
「よかった、 いたいた」
体育座りで顔を伏せていた明日菜が顔を上げた。 目のまわりに泣き腫らした跡がある。
「ほら、 帰ろ」
「なによ、どうせ木乃香に命令されたんでしょ。『見逃してあげる』とか言われて」 再び顔を伏せてふてくされる。
ちがうよ、と言いながら明日菜の隣に腰掛けた。 建物の外装なのか、 おそらく何年も放置されていたトタンの冷たさが直肌に
伝わってくる。
「まぁ確かに、 明日菜の泣き顔を写真に撮ってきたら許してあげる、 とか言われたけど、 そんな事する気は全然ないし、 連れ
 戻しに来たのは私の意志だし。 全く、 木乃香ってば明日菜の友達のくせに、 何考えてんだか」
「木乃香を悪く言わないで」  明日菜がぴしゃり、 と言い放った。 「木乃香はずっと、 あたしの友達でいてくれたんだから。
 今回の事だって、 私が悪いのよ。 私が勝手に行動したから。 だから、 木乃香は悪くない。 私が罰を受けるべきだったのよ」
明日菜は、 友達という言葉に縛られている。 朝倉は直感でそう思った。 そういえば、明日菜と木乃香の馴れ初めについては
あまり聞いたことがない。
「あんた達のせいよ……あんた達が、 大人しくしてれば……」
「違うでしょ……」
「木乃香はねぇ、 ずっと、 あたしの友達でいてくれたの」
「森で彷徨ってるクラスメートを見捨てる友達がどこにいるのよ!」
「だからそれは私が悪かったんだって言ってるでしょ!」
「間違いを正すのも友達の仕事だって」
木乃香も、 明日菜も、 都合のいい時だけお互いを利用し、 利用されているだけだ。
「ほら、 帰ろ」
明日菜は差し出された手をとらずに立ち上がり、 朝倉の手から懐中電灯をひったくると、 勝ち誇ったように言った。
「ふん、 残念だったわね。 今度はあんたが一人で迷いなさい」
あらかじめ乾電池を抜き取っておいた朝倉は、 やれやれ、 と思いながら、 廃墟の外で懐中電灯に苦戦している明日菜に歩み
寄る。 乾電池の蓋を取り、 してやられたと気付いた明日菜は、 悔しそうに歯がみして朝倉を睨む。
「なによ、 やっぱり私の事なんて、 信用してなかったんじゃないの」
「いつ、 私と明日菜が友達になったって?」
「渡しなさいよ、 乾電池」
「隠しちゃった。 どっかの瓦礫の下に」 明日菜が地面を両拳で叩きつけ、 呻いた。 誰からも信頼が得られないことを嘆いて
いるようにも見える。
「人に信用されたいんだったらね、まず人を信用しなきゃいけないんだってさ」 朝倉は、 本に書いてあった言葉の続きを思い
出す。 「他人を信用しないのは、 信用できない方が悪いのだ」
「言ってることとやってることが違うじゃないのよ」
「最初から私を信用して、 懐中電灯を奪ったりしなければ、 もっとすんなり帰れたんだよ」
朝倉はポケットから電池を取り出して、 懐中電灯のスイッチを入れた。 ここから林の出口までは、 一本道になっている。
道を外さなければ、 無事に出口に辿り着ける。
「ほら、 行こ」 明日菜は諦めたのか、 急にしおらしくなり、 朝倉の手をとった。


「マッツッケッンサ〜ン〜バぅわびっくりした! ってなんで後ろから来るのよ?」
「最近、 テレポートも流行ってるんだけど、 知らないの? 美空おっくれってるー」
「廃墟の方から回って来たらしいです」
「廃墟からきました」 と朝倉が答えると、 美空は明日菜の姿を認め、 気まずそうに挨拶を交わした。 多分、 相当追い回され
たんだろうな、 と朝倉は予想した。 彼女の足に追いつけるのは、 明日菜一人しかいないからだ。
帰りの電車の中で、 何度か明日菜に話し掛けてみたが、 明日菜は一言も喋らないどころか、 返事もしなかった。 ただ黙って、
朝倉達とは一歩距離を置いた場所で手すりに寄りかかっているだけだった。
「ねぇ、 明日菜さ」 駅から寮までの道を歩いている途中だった。 美空との会話のネタも尽きた頃、 再び明日菜に話しかけて
みたが、 返事はない。 代わりに返ってきたのは、 美空の言葉だった。
「私、 歌い続けで喉乾いたから、 コンビニでジュース買いに行こうよ。 夕映っちは何がいい?」
一緒に来い、 という事らしかった。 明日菜を連れて来たくないから、 夕映を一緒に置いていこう、 という魂胆らしい。
「何でもいいです、 奢ってくれるのなら」 やっぱり夕映は賢い、 と思いながら、 朝倉が微笑む。
二人でペットボトルのコーナーに並びながら、 朝倉は明日菜の分まで選んでいた。
「親切だね、 奢ってくれるなんて。 やっぱりシスターは優しい」
「朝倉の分は奢らない」
「なんだよケチくさい」
「朝倉、 まさかさ、 明日菜までこっちの部屋に泊めようとか考えてないよね」 美空が本題に触れても、 朝倉は面白そうな
ジュースがないかどうか、 熱心に探している。
「いいアイデアだね、 それ」
「冗談。 話したよね、 私がどんな目に遭ったのか。 明日菜とか明日菜とか、 あとほら明日菜とか」
「私は、 明日からそんな目に遭うんだけど」 美空が答に詰まる。朝倉は別に、 ヒーロー気取りで夕映を助けた訳でも、
自ら進んでやられ役を買って出た訳でもない。「今のうちに明日菜を手元に置いておこうって?」
「手元に置いておくって表現は嫌だけど、 まぁ確かに、 そうなってくれればいいとは思ってる。 それに」
「それに?」 朝倉は、 炭酸系の飲み物を手に取った。 左手には、 ミルクティーを持っている。
「色々話も聞きたいしね」
自室に戻って明日菜を招き入れ、 せま苦しいところですが、 と定型的な言葉でもてなした。 明日菜は最初こそ拒否してい
たものの、 朝倉の 「お茶だけでも」 の押しで、 とりあえず部屋に入れることに成功した。 風呂場の時といい、 朝倉は狭い
場所はが好きなんだろうか、 と、 窮屈になった床に腰掛けながら美空は思う。
「まぁまぁ、 とりあえず。 今日のことは忘れて、 みんな乾杯でもしよう」 明日から大変な目に遭うというのに、 朝倉はどこ
までも呑気だった。
「乾杯って普通、 めでたい時にするものだと思うけどな」
「じゃあ、 何でもない時に乾杯すれば、 きっとめでたくなるよ」
朝倉は一人舞い上がり、 コンビニで買った炭酸をぐびぐびと流し込んだ。 その飲みっぷりがあまりに爽快だったので、 他の
三人共、 それぞれ飲み物に口をつけた。 甘いものは精神をリラックスさせる、 とは本当かどうかは分からないが、 皆で一斉
に飲み物に口をつける様子はどこか滑稽で、 室内に奇妙な一体感を生み出した。 そういえば、 3Aはよくこんな雰囲気だった
な、 と美空は思い返していた。 あの頃もこんな風に、 誰かの小さな一声で、 気持ちのいいぐらいの一体感の元、 団結して何
かをやっていた。 そうそう、 朝倉はこういうのが得意だったんだ、 集団をまとめるのが。
「それで、 大体今話したので、 私の不思議体験は終わりなんだけど、 どうかな、 二人とも」
別に、 すぐに答えを聞こうとは思っていないが、 常にネギの側にいる明日菜ならば、 なにかそれらしい事に思い当たるふし
があるのではないか、 と朝倉は幾分か期待していた。 見ると、 二人共明らかになにかを思い出しているような顔つきで、 朝
倉から目を逸らしていた。 明日菜に至っては、 思い詰める様子を隠そうともせず、 なにか重大な秘密でも握ってしまったよ
うにも見えた。
「何か、 なんでもいいんだけど、 気付いた事があるんなら遠慮なく言ってよ。 勿論ここで聞いた事は秘密にするし、 明日から
 例え明日菜に何発殴られようと、 絶対に口は割らないから」
時計はもう、 深夜の十二時を回ろうとしていた。 美空はその沈黙を待つ気はないらしく、 いつの間に風呂に入っていたのか、
シャワールームから出てきてテレビのスイッチを入れ、 ソファーでリラックスしていた。 とはいえ、 さすがにボリュームを
絞るぐらいの気遣いは持ち合わせているらしく、 肩にバスタオルをかけたまま、 黙ってテレビに見入っている。
十五分程待っても二人の口が開くことはなく、 結局最後は、 「別に、 話す事なんてないわよ」 と明日菜が言ったので、 諦め
ざるを得なかった。 「まぁ、 何か思い出したら、 いつでも言ってよ」 と朝倉は幾分の落胆を感じながら、 明日菜に今夜は泊
まっていくよう促した。
「ほら、 今帰っても話しづらいでしょ? 泊まっていきなって」 美空がわずかに表情を歪めたが、 それ以上拒絶反応を表に
出すことはなく、 いい加減に発した声で、 泊まってけばー、 と投げやりに呟いた。

「美空」 朝倉が洗面所で歯を磨いている間、 明日菜が美空に呼び掛けた。 嫌な予感がした美空は一度、 聞こえないふりをし
たが、 明日菜に正面に来られたので、 逃げ場を失ってしまう。
「今日さ、 私は朝倉達を追い回してたんだけどさ。 なぜか私のところにだけロープがいっぱい張り巡らされててね。 朝倉は
 全然それに引っ掛からなかったのに、 私だけがなぜかそのロープに足を取られて、 転んだのよ、 何度も」
せっかくここまで来ていい雰囲気になったんだから、 わざわざぶり返さないで、 大人しくしてればいいのに。 明日菜は肝心
なところで空気を読まない。 だから、 あのグループ内でも浮いてるんだ。 そう言ってやりたかった。 明日菜はしてやったり、
とでも言いたそうな、 勝ち誇った顔だった。 「明日から、 覚悟しなさいよ」
夕映が読んでいた本の隙間から、 不安げな顔を覗かせている。 ここで喧嘩をすべきか。 正直勝てる自信はないけど、 明日か
ら朝倉の番は確定だし、 ちょっとぐらい無茶をしても大丈夫かもしれない。
「ふぅん、 今の明日菜の言葉を、 木乃香達が聞いてくれるわけ?」してやったり。
「なっ、 き、 聞いてくれるわよ! 木乃香は私の友達なんだから」
「優しい優しいお友達は、 あなたのことを森に放ちましたとさ」
刺激が強過ぎたのか、 明日菜が顔を赤くして、 怒りを露わにする。
「ゆ、言ったわね……。 別に、 聞いてくれなくてもねぇ。 あんたの昨日の行動を話すだけで、 後々、 あんたはクラスで不利
 な立場になるのよ。 それでもいいわけ?」
確かに、 言われてみれば、 彼女達はどんな小さな事でも憶えていて、 それをネタにいくらでも揺さぶりをかけられるのだ。
そういえば、 こんな事聞いたんだけど。 と、 昨日見たテレビの内容でも思い出すようにして、 本人でも憶えていない様な
些細な事を引っ張り出してくる。 しまった、 白を切っておけばよかった。 今更ながらに、 後悔の念が押し寄せる。
「もうおしまいよ、 あんただって朝倉と一緒に痛い目に遭わせてあげるわ」
私はやっぱり賭事とか、 勝負事には向いてない。
「明日菜」
洗面所で髪留めを解いたのか、 セミロングの髪を肩まで垂らして、 寝る準備の整った朝倉が明日菜の正面に座った。
「あの場所には美空はいなかったし、 美空は今日、 ずっと部屋からは出てないし、 明日菜を迎えに行ったのは、 あたしだけ」
見惚れる程に、 真摯な眼差しだった。 嘘なんて、 ただの一つも混ざっていない。 本当にそう思ってしまうぐらいに。 たとえ
今、 誰がどんなに本当の言葉を発したとしても、 きっと朝倉の表情の方が、 真実味がある。
「何よそれ、 脅してるつもりなの?」
「ううん、 お願いしてるの」 そんな顔を向けられれば、 明日菜だけじゃなく、 誰だって困惑する。 「信じてるの」
朝倉が頭を下げた。 なにもそこまで、 と言う勇気すら、 今の私にはない。
「お願い。 美空と夕映は、 ずっとここにいた。 そういう事にして。 お願い」
「な、 何でそこまでするのよ。 馬鹿じゃない?」
朝倉は、 明日菜が許してくれるまで、 お願い、 と言い続けた。 明日菜もいい加減対応に困ったのか、 諦めたように、 分かっ
たわよ、 とだけ言って、 床に敷いた布団に潜り込んだ。深夜も大分深い時間帯まで入ってしまっていたため、 朝倉の 「はい、
今日のいざこざはこれまで」 という言葉を合図に、 皆それぞれ寝床に入った。
それから、 朝倉がまた突然、 「写真撮ろう、写真」 とかなんとか言うもんだから、 私達は写真を撮ったり、 撮られたり、 ま
だ続いてたのか、 罰ゲームの名目で変な顔をさせられたり、 させたり、 それ相応に笑った。 深夜の間、 それ以外に交わされ
た言葉といえば、 私のベッドに潜り込んできた朝倉が 「卍固め!」 とか言って私の身体に変な技をかけ、 思わず 「ぐわあぁ」
とか叫んだぐらいだった。 いや、 夕映が 「アホです」 とか言ったような気もする。


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