「物事を疑い、考えを巡らせることと、何も考えず盲目に信じることは、表裏一体です。それは嘘かもしれない、という疑念
だけを信じて先に進まないのは、何も考えないのと一緒です。私が、たった一つの言葉を信じて世界が変わるのであれば、
私は信頼した相手の嘘など恐れないです」
「夕映っち……」
「あ〜あ……」 椅子を持っているのがいい加減疲れたのか、龍宮が疲労の声を上げて椅子を下ろした。勢い良く下ろされた
ため、背中に衝撃が走る。
「バカじゃないの……。私の時は、信じてくれなかったくせに」
「私は、同じ失敗は犯さないです」
「それが成功って言えるの? 適当に人を信じる事が」
「のどか。今のページ……朝倉さんが椅子に縛り付けられてましたが、のどかが話してくれたのとは、少し違うようですね」
「違うって……何が」
「そのアーティファクトは確か、人の表層意識を読むものでしたね。のどかの絵柄で」
朝倉がその瞬間、はっと顔を上げた。確か修学旅行の時、一度だけ見せてもらった事がある。お世辞にも上手い絵とは言い
難かった。しかし、今見たのは、下手は下手でもどこかが違っていた。わざとそう見せているような、演出じみた感じ、というか、
下手な絵を理解している印象を受けた。
「ハルナに描かせたのですか。ですが、おかげで気付きました。いくら元絵に似せて下手に描いたとしても、ずっと同人創作を
手伝ってきた私には、ハルナの絵柄を見分けるぐらい、簡単です。リアルに見えるように、先を見越して縛られている姿を描
いたのでしょうが、のどかは自分が縛られている姿なんて想像したことがありますか?」
言われて初めて気付く。朝倉は、縛られている自分の全体像を想像しようと試みたが、失敗する。縛られている最中なら、尚更
そんな事を考えている余裕はない。
「本能を読み取れる、というのも嘘ですね」
のどかは一瞬顔をしかめたが、気丈な振る舞いを崩そうとはせず、威圧感を込めて言った。
「だから? それが分かったから、なんだっていうの?」 再び龍宮と刹那に指示が飛んだ。「二人を窒息させてください。死んで
しまっても構いません」
木乃香が笑う。「それはあかんやろー」
のどかが怒りに震えている。たとえ気丈なふりをしても、心の奥では冷静さを失っていた。
龍宮は仕方ない、といったふうに、刹那は何かを必死に忘れようとしながら、二人の頭を重力の方向へと向けた。
「刹那さん、そっちじゃありません」
刹那が「え?」という顔をした。一瞬遅れて、言葉の意味に気付く。一歩隣に移動して、一番右の缶の前に立った。
朝倉がいくらやめて、と叫んだところで、事態は変わらない。それでも、今朝倉にできるのは、それぐらいしかなかった。
叫びながら、頭は水の中に浸されていく。そう思って目を瞑ったが、そうはならなかった。
朝倉は目を開けてみたが、視界に映っているのは、体育倉庫の床だった。その直後、水の跳ねる音が聴覚に届く。
龍宮が持っていた椅子は投げ捨てられ、床を転がりながら頭を打ち付けると、鈍い痛みが走った。
何が起きた。いや、その前に夕映は。
「くっそ、なんだ」 龍宮の声からして、周りの皆も状況を把握できていない様子だった。
「障気……?」 刹那が警戒して、木乃香の側に寄る。
朝倉は首の向きを変え、床に寝たまま辺りを確認しようとする。夕映も朝倉と同じような姿勢だった。どうやらニスは被ってい
ないらしい。
「はっは〜ん。知ってるぞ、この気」 龍宮がポケットから除霊の道具を取り出す。「出て来い、相坂」
朝倉が顔を起こそうとするが、縛られた縄のせいで上手くいかない。
「さよちゃん!?」
もう一つの缶が持ち上がり、中身が木乃香に降りかかろうとしたが、刹那が全身で受け止めてそれを阻止した。
そう夕映は説明した。
龍宮の魔眼が光り、辺りを散策し始める。同時に、朝倉に不安がよぎった。私達は命の保証はされているのだ。もちろん、
自殺に追い込むという間接的な殺害も彼女達ならやってのける可能性はあるが、今のところ、その点は免れている。
しかし、さよは話が別だ。彼女は既に死んでいる。そして、法律は関与しない。法律では、幽霊は“いないもの”とされて
いる。たとえ消滅させたとしても、それは除霊という行為に当たり、なんら罪に問われる事はない。
「さよちゃん、逃げて!」
除霊用の、鋭利な刃物が投げつけられる。当たったら一発で終わりと思ってしまうような、鈍い光を放ったその刃物は、倉庫
の出口に刺さり、的を外した。龍宮が舌打ちをして刹那に伝える。
「外だ。私が行ってくるからお前は二人を見張ってろ」龍宮が扉の閂を外して外へと出る。
「やはり、最初からやっておくべきだったんだ」
『 Sayo 』
天井から外に出たさよは、本校者の方を向いた。遠く離れた窓から、保健室の様子を確認する。どうやら気付いてくれたら
しい。あとは、しずな達がここへ来るまで時間稼ぎをしなければならない。
木乃香達なら、たとえ先生が来ようとも、あの場に籠もってやり過ごすことができる。今までそうして、教師の目を誤魔化して
きていた。彼女達を引きずり出さなければ。そのためには、あの扉を開けさせるしかない。
あの現場を教師達に見せなければならない。朝倉と夕映の行動が制限されていることを、直接眼球に見せつけなければなら
ない。あのままでは朝倉と夕映が窒息で死んでしまう。
でも、とさよは考える。もし死んだら、恨みを残してくれるだろうか。幽霊になって、今よりももっと近くにいられるだろうか。
珍しくそんな幽霊らしい事を考え、不謹慎だな、と思う。
私は多分、嫌われている。
朝倉のつらさも考えず、勝手なイメージばかりを押しつけた。皆に荷担してはいけない、だなんて、そんなことは朝倉だって分
かっていた。私自身は何も差し出さず、自己犠牲を押しつけた。嫌われて当然だ。私だってこの身体ぐらい、捧げなければ。
危険だけど、構わない。どうせ幽霊なんだし。
龍宮は更衣室を探していた。すぐに隠れられるように、ロッカーの中から顔半分だけを外に出す。
「そこか」
振り向きざま、勢いよく投げつけられた霊具はロッカーに刺さり、さよの胸の手前で動きを止めた。
慌てて顔を引っ込め、別のロッカーに移動し、姿を潜める。今投げつけられたのは、以前、最初に姿を現した時の道具だ。
幽霊には、怪我という概念がない。最初から身体の一部が無く、苦痛を強いられている霊体もいるが、それ以上傷口が広がる
ということもない。そのかわり、霊具などであっという間に成仏してしまう可能性がある。一度もらったら文字通り、即お陀仏だ。
「楽になれ。あの世にはお前の欲しがっている友達がたくさんいるぞ」
否定はできない。しかし、魂ごと消滅するだけ、という可能性も、捨てきれない。人間が、人間とはなにか、と考えるように、幽霊
だって、幽霊に詳しくはないのだ。
「あなたたちが……あなたたちさえいなければ、この学園は平和で、もっと楽しい所だったんです」
こんな言葉で変わる人ではない。彼女は仕事人間だ。でも、訴えたかった。
「どうして……友達を、あんな目に遭わせるんですか」
「仕事だよ。言ってしまえば、金だ」
「お金なんかより……友達の方が、大切です!」
「では聞くが、そのお金で友達の命が救える、と言ったらどうする」
「え……?」
「金で買う関係は世の中に溢れている。しかしな、友の命を救うには、それと同じくらいの、時にそれ以上の額が必要なんだよ」
龍宮の言葉の意味を考える。命を救う? 彼女の友達は、病気を患っているのだろうか。
「でも……でも、そんな事をして稼いだお金で人を救ったって、別の誰かが苦しむだけです! そんなの、絶対おかしいです!」
なんということだ。戦後、日本は民主主義になり、資本主義になった。彼女はそれに忠実に沿って生きている。
「なら聞くがな。もし貴様の体が、金を積めば甦る。そうなったらどうだ」
「そんなことをされて生き返ったって、嬉しくなんてありません」
「お前の事を聞いているんじゃない。お前の友達は、お前の事を一番に考えている親友は、躍起になって金を稼ぐ。その行為を
お前は否定できるのか?」
朝倉の顔を思い浮かべる。彼女はそうしてくれるだろうか。今は嫌われている。でも、もしも、仲直りできたなら。そして、私の
ために、必死になってお金を稼いでくれたら。
嬉しい。
「貴様に私の生き方を否定する権利はない」
少なくとも、その行為を全面否定はできない。
「……どうなんだ……?」
彼女は僅かに不安を滲ませながら、私に答えを尋ねてきた。救われる立場になった時の、私の答えを求めている。
それは嬉しいのか、と。
「嬉しいですよ……確かに」
龍宮が安堵した様子を見せた。「そうだろう?」
「でも」
頬を涙が伝う。
「でも……だめじゃ……ないですか、そんなの……」
「何……?」
「私が、それを……許しちゃ、ダメじゃないですか……」
「何を言っているんだ」
「なら、朝倉さんが、その人のところに行って同じ質問をしたら、世界中の貧しい子達に向かってそんなこと聞いたら!」
龍宮が言葉を詰まらせる。
「嬉しいだろ? なんて、だから……君は後回しだ、なんて言えるんですか!!」
龍宮の胸に、ずしりと重い石が入り込んだ。
そうか。こいつは60年も精神を積み重ねていたんだ。60年間学校の中で生を羨み、どれだけ実感を得たい、と思った事だろう。
どれだけ人と話がしたいと思ったろう。人の肌に触れたいと思っただろう。おそらく思春期真っただ中で、何も経験することが
できない。学校で幽霊扱いされているのと殆ど同じ状況だ。彼女はただ、幽霊であるだけなのだ。そんな中、たった一人だけ
できた初めての友を、私が奪うという役目を買っている。
私は、運が良かったのか?
たったの数年であの運命を抜け出した私は、幸せなのだろうか。守りたいと思う人がいるというのは。
龍宮が銃を下ろして、ロッカーを挟んで反対側にいるさよに向かって言った。
「でもな、相坂……後回しなんだよ。結局な、そうなってしまうんだ。仕方がないんだ」
しずな達の足音は、さよの耳にはまだ聞こえない。
「上から順番になってしまうんだよ。だからな、私達は……私達は、与えられた順番に従って、前に進むしかないんだ。だから、
君はさっさと成仏して、次の世を楽しんだ方がいい」
ロッカーを蹴り飛ばした先には、さよはいなかった。
「お断りします」
さよは背後に回っていて、呻り声と共にロッカーを浮遊させた。六つ程かき集めて出口を塞ぎ、残りの全てを龍宮に叩き込む。
回避するにも場所がなく、龍宮は両腕で受けるしかなかった。中から出てきたユニフォームが顔にかかる。
さよが念力の限りでロッカーを押しつけると、龍宮の腕力との勝負になった。感情は高ぶり、普段以上の力が溢れている。龍宮
を倉庫に戻したら、閂を閉められてしまう。たとえ霊力が尽きようとも、今、この場で龍宮を止めなければならない。
しかし、埋めることのできないスタミナの差が徐々に表れ、龍宮が押し戻し始める。早く来て、と心の中で願う。頭痛がひどい。
「私を止めているつもりか。なら無駄だ。別に私を中に入れる必要はないんだからな。あいつらなら、私のことなど気にせず、
とっとと鍵を閉めるだろうよ」
とうとう龍宮が完全に押し返した頃になって、ようやくしずな達の足音が聞こえた。さよがへたりこんで呼吸を荒げているところ
に、龍宮が銃を突き付ける。
「お別れだな」
「龍宮さん……何、やってるん? 銃なんか持って」
ロッカーが倒れる音を聞いて駆けつけた亜子は、更衣室の入口の異様な光景を見て、中で何かが行われているのではないかと
慌ててロッカーをどけて中に入り込んだが、そこにはただ哀しそうな目をした龍宮が、銃口を斜めに構えているだけだった。
亜子は銃口の向く先を見たが、何もいない。
「いや、なんでもないよ」
普段から見せる威圧的な声色ではなかった。何があったのか聞こうと思ったが、しずなが倉庫の方で大声を出しているのを聞い
て、それどころではくなってしまった。
亜子が去った後、誰もいなくなった更衣室で、龍宮はただ「よかったな」とだけ呟いた。
*
私が心配なのは、さよの身だ。ただそれだけだった。
しずなが縄を解くなり、朝倉は静止の声も聞かずに夢中で走り出した。更衣室までは大した距離ではなかったが、非常に長く
感じた。ロッカーが更衣室内から外に転がり出ている。尋常ではない音がしたのは、これか。邪魔な箱を踏み越え、中に入る。
「ねぇ……さよちゃんは?」
どんなテストの結果を聞くより怖かった。自分にしか分からない、友達の生死なのだから。他に誰も悲しむ人がいない。
「……ねぇ、さよちゃんは!?」
「消したよ」
龍宮は、消した、と言った。消えた、ではない。
間違いであって欲しいと願いながらも、間違いなくそう聞いた。
「嘘でしょ……」
「ごめんなさい、だってさ。お前に」
「また、私に対する嫌がらせでしょ?」
龍宮は、泣いてもいなければ、笑ってもいなかった。その真実味のある表情が、朝倉に絶望的な結果を伝えていた。
「人殺し」 朝倉は龍宮の胸元に迫り、訴えた。 「人殺し!!」
もう死んでるじゃないか、という冗談は飛んでこなかった。
「さよちゃん、六十年もこの学校にいたんだよ。ずっと、一人で……友達欲しい、友達欲しいって思いながら、誰に話し掛けても、
何も返って来なかったんだよ! ずっと、みんなの楽しそうな顔、見てるだけだったんだよ!」
「私が、解放してやった」
「都合のいい事言わないでよ! 勝手な事言わないでよ! ただの人殺しじゃない! 戦争で、勝手に人撃ち殺して、“解放して
やった”とか、“平和のため”とか言ってるのと一緒じゃない!!」
「お前は、あいつの親類か何かか!」
龍宮が掴まれていた胸元の手を振り払い、逆に朝倉の胸ぐらを掴み返す。
「一年にも満たない付き合いで相坂の事を、死者の気持ちを理解したつもりか!? 調子に乗るな!! お前が奴をこの世に
縛り付けてどうする! お前がいれば相坂は幸せなのか? たった一人の友が、次の世で出会えるかもしれない大勢の人間
達よりも価値があるというのか? 自惚れるな!!」
朝倉が表情が変化し、迷いの様相を浮かべると、龍宮は掴んでいた手を離した。
朝倉は、自分の答えに迷いを見せた。それでいい。今のお前の様な、直情的な感情が答えではない。答えには様々な形がある。
「生きていればな、事を起こせる気力があるなら、まだ何かに期待はできる。でもな、あいつはもう、死んでるんだ。自殺だって
できない。お前がいなくなったら、またそういう人生を歩むことになる。寂しい思いをする」
これでいいんだ。最初からこういう約束だった。相坂は守るべき人を守ったし、私は仕事をこなした。何も問題はない。
龍宮は背後に朝倉の呻く声を聞きながら、体育館を後にした。
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