@『へインリー』

上空のマスコミがうるさい。国を挙げてのイベントとはいえ、もう少し受験者に対して配慮すべきではないのか。
まるでお祭り騒ぎだ。豪勢なオーケストラと、電子楽器。観客の声援と喝采の声。手の込んだオープニングセレモニー。
最早、就職試験の雰囲気とは程遠い。男性の部がここまで豪華じゃないのは勿論、人数のせいでもあるんだけれど、それでも
少し、その方が羨ましいと感じたのも事実だ。
私は、跨っている愛馬に手を触れた。練習の時までは、こんなに身体が震えるといった事はなかったのに、と不安が募る。馬も
本番になると緊張するものだろうか。
いや、違う。そう一人で呟いた。
曾祖母の話によると、馬は昔、このような姿形をしていなかったらしい。蹄は今ほど飛び出てはおらず、顔に『くちばし』も生えて
いなかった、と言った。面長で、前足も後ろ足ももっとスマートで、決して二本足で走ったりはせず、現在の腕は前足が退化した
ものだそうだ。最も、これから大事な試験を迎える私にとっては、そんな昔話に浸っている場合ではない。
大手派遣会社学校女子採用試験、第八次審査会場。それが、今私のいる場所だ。
世界的に行われるこのイベントは、数日間かけて行われ、集客力も世界ナンバーワンで、テレビカメラの数も尋常ではない程集
まっていた。
数十万人規模で集められた視線に、当初はさすがに緊張した私も、第八次ともなると幾分気が楽になってきてはいた。
私はやっぱり、頭を動かす試験の方が好きだ。身体は頭に着いてきてくれない場合があるが、頭だけを動かすのなら、こんな楽
なことはない。
しかし、この第八次審査というのが、なにやら競馬じみた事をやるのである。いくら万能を謳う派遣会社だろうと、これはちょっと
節操がないのではないだろうか、と思ったのは私だけではない筈だ。
馬は試験開始の三ヶ月前に寮に届けられ、試験当日まで飼育期間が与えられる。私が乗っているメスカリーナという名の馬は、
何度も試験を通過している常勝の“当たり馬”と言われていて、よく私に馴染んだ。覚えも良く、優秀この上ない馬だった。
そのメスカリーナが、レース直前になった今、目を赤く充血させ、息を荒げている。
私は、近くにいる係員に声を掛けた。
「すいません、私の馬の様子がおかしいんです。もう一度薬物検査をしてもらえないでしょうか」
頭髪がほとんど白いもので埋め尽くされたその老人は、機嫌の悪さを隠そうともせず、私をじろり、と睨み付けた。
「うちの会社を疑うんなら、今すぐに降りな。馬からも、試験からも」
どう考えても薬物による反応が出ているのだが、私はそれ以上言葉を返すことができず、俯いたまま、一言謝った。
大丈夫。きっと私は、危機対応能力を試されているんだ。船舶操舵試験でブレーキが壊れていたのも、料理検定で異物が混入
されていたのも、きっとそのせいだ。検査員が見逃したということは、そういうことなのだろう。
ゲートに入る直前、例の彼女が私の目の前を横切った。セシリアという名前だ。
千人を超える本採用試験で、私が彼女の名前を覚えているのには訳がある。彼女は別に私の知り合いではないし、顔を合わせ
たのもこの試験が初めてだ。それでも多分、殆どの受験者が彼女の名前を覚えさせられたと思う。

会社と学校を兼ねているという世界でも珍しいこの企業は、その破格の給料に見合う程の超難関として有名で、合格までには最
低五年が必要と言われていた。
幸いな事に、私は四年目にしてそこそこの点数を稼ぎ、合格まであと一歩のところまで来ていた。イベント前での下馬評でも一番
に躍り出ているらしく、十年に一度の逸材と囃し立てるメディアもあった。しかし、恥ずかしながら、あまり期待に応えられる程の行
動は出来ていないと思う。
そしてそんな前評判を一気に覆したのが、問題の例の彼女、セシリアである。受験一年目にして、これまで完璧とも言える成績を
修め、ダークホースとして観客と他の受験生の度肝を抜いていた。一年目にしてここまで完璧な点数を取る事はほぼ不可能と言
われ、何か不正を行っているのではないか、という噂も囁かれている。
私の見た限りでは、この受験における不正こそが不可能であり、彼女はれっきとした実力者なのだ、と踏んでいた。
かなり遠方の地方出身らしいが、データが殆ど皆無で、それがまた人々の関心と疑心を誘い、いかがわしい経歴でもあるのでは
ないか、とも言われていた。
外見はといえば、それこそ人を蹴落としそうな冷たい目をしていて、表情も乏しいが、それは多分、厳しさを表しているんだと思う。
あれほどの実力を備えていながら優しい微笑みを浮かべていたら、それこそ気味が悪い。
小顔で瞳は大きく、一般的な観点からいえば美人の部類に入るんだと思うけれど、世の男性が彼女の事をどう見るかは判らない。
一次審査を簡単に突破しているように、身だしなみは整っていて、黒と紺色の生地で纏めた上下を、貫禄と一緒に着こなしていた。
受験者というよりも、審査員、と言った方がしっくりくる。もしかしたら本当にそうなのかもしれない、とも思ったが、それにしては目
立ち過ぎているようにも思う。

背後でゲートの閉まる音がした。同時に、馬に装着された遮音具が外され、観客が規則通りに沈黙した。
無言でカウントが為され、『ゼロ』の合図と共に一斉に音が放たれる。受験者の雄叫び、観衆による大歓声、ゲートの開く音。
馬はそれらの音に反応し、大地を大きく蹴ると、レースが始まった。後戻りはできない。ここまで来たら最後まで走り切るしかない。
開始前から不安はあったものの、なんとかメスカリーナを走らせる事には成功した。当たり馬ということだけあって、快調な滑り出
しだ。走行フォームはやや不安定ではあるが、ゴールまでは行けそうな勢いがある。後は最後まで走り続けられればそれでいい。
大きな加点は捨て、完走することを目標にする。きっとそれで上手くいく。そう甘く見ていた。
問題が起きたのは二週目に入っての第一コーナー。馬の足が突然、おぼつかなくなってきたのである。
酔っている。私はそう直感した。反応がアルコールに近く、体温の上昇が通常よりも高い。
マズい、こんな所で。あと三週は残っているというのに。
前方には誰もいない。現在は独走状態だったが、もしかしたらこれは、薬物により無理なスピードで走っているのではないだろう
か。スピードを極力まで落として、体力を温存させながら走らせた方がいい。順位に未練はあったが、今はその欲は捨てよう。
もしかしたら審査員は、こういった状況でのベストな行動を見極めさせようとしているのかもしれない。
私は手綱を引き、馬に速度を落とすよう指示を出した。仕方がない、やっぱり順位は諦めよう。そう覚悟した。
しかし、馬は速度を落とそうとしなかった。
馬の耳を塞いで刺激を減らそうと試みたが、これもすぐに無駄だと分かる。
思わず驚嘆したが、すぐに心に落ち着きを取り戻す。同じだ。船舶操舵の時と。ブレーキが壊れた、ただそれだけ。違うのは、生
物か無生物か、ただそれだけだ。
船舶操舵の時に緊急で行ったブレーキング行為は、スクリューを縄でからめ取る、というものだったが、そういった推進器、つまり
足を阻害することは、馬にとても私にとっても危険だ。
馬を傷付けることはきっとマイナスポイントになる。となれば、馬の速度を緩める方法は一つしかない。私は馬の耳元で大声を出
し、限界まで速度を上げた。このままスタミナを使い切ってしまうのだ。
私が速度を上げた事により、観客達がその歓声をより大きくした。恐らく実況では今頃、私の独走状態を喜々として伝えているの
だろう。
既にスタミナが限界に近付いていたのか、馬が速度を緩めるのにそう時間は掛からなかった。しかし、二つ目の問題がそこでやっ
てくる。2コーナー程突き放した筈の後方の集団から、一頭の馬が猛烈なスピードでこちらに向かって来ていた。
セシリアだ。彼女が乗っているのは、スピードは中の下、本番となるとその実力すら発揮できないという、外れもいいところの外れ
馬だった。その外れ馬を見事に飼い慣らし、追いつける筈のないメスカリーナをぐんぐんと追い上げてきている。
別に順位を下げられることはどうでもよい。彼女にならば抜かれても本望だとさえ思っていた。しかし、問題はそこではなかった。
彼女がとうとう私の横に追い付くと、ぴたりと横に着けたまま併走を始めた。私に向かって何かを話し掛けてきているようだったが、
上手く聞き取れず、私は体を傾けて顔を近付けた。
その瞬間、馬が悲鳴を上げた。おそらく、傾けた体勢が悪かったのだろう。ギィィイ、という耳をつんざく様な悲鳴と共に、両腕を振
り回して暴れ出したのである。
資料によれば、これは獲物を駆る時の状態だ。どうしてこんな時に。このままでは近くを走っているセシリアや、ゴール地点で審査
員を傷付けてしまう恐れがある。どうすれば。
セシリアを見やると、メスカリーナの振り回した腕を危険だと感じたのか、少し離れた場所で併走を続けている。彼女の乗った馬は
あれ以上のスピードが出せないのだろうか。出来ればすぐにでも突き放して欲しかった。
彼女にそう警告を出そうとしたが、こちらの声も相手には届いていないのか、彼女は全くそのような素振りを見せようとしない。それ
どころか、再びこちらに近付こうと試みているようだった。
「危ないから離れて!」
何度そう叫んでも、彼女が離れる気配はない。もうすぐゴールに辿り着いてしまう。早く何とかしないと。
ゴール目前の数十メートル手前、ついに彼女が行動を起こした。
メスカリーナの爪が届かないぎりぎり後方から近付き、体当たりを仕掛けてきたのである。私はメスカリーナと共にゴール脇のコー
ナー内側に吹き飛ばされ、落馬と同時に体を思い切り地面に打ち付けた。
観客からセシリアに対して一斉にブーイングが沸き起こる。
「ほらみろ、ついに本性を現したぞ!」
「田舎物は引っ込め!」
「卑怯者!」
私は急いで手綱を切断し、メスカリーナの腕と足を縛ると、上着を脱いで、馬の目と耳を塞ぐ。体を撫でてなだめても馬の暴走が止
まりそうもない。その様子を見ておかしいと感じ取ったのか、駆けつけてきた数名の審査員に向かって叫んだ。
「薬物反応です! アルコール性反応、水をあげてください!」

メスカリーナが担架で運ばれている間、他の馬達が次々とゴールしていった。
結局、完走に至らず、という結果になってしまったけれど、ひとまずは助かった、と心の中で安堵の溜息をついた。
レース中の妨害は認められていて、彼女の取った行動が審査側から非難されるといった事はない。あの程度の危機は自分で乗り
越えてもらわなければ困る、というのが企業側の意向だった。悪いのは状況のせいではなく、全て自分のせいなのだ。
辺りを見回してセシリアを探したが、結局見つからないまま次の審査の時間が来てしまった。
彼女は私を助けてくれたのだろうか。それとも、ただ自分が一位を取るために私をリタイアへと追い込んだのだろうか。
ともあれ、結果私は助けられる形となったわけだから、彼女を恨む理由は全くない。むしろお礼を言いたいくらいだ。
それにしても、と私は考えた。事故が多過ぎる。
この、明らかに意図的と言える一連の事故は、私だけに仕掛けられたものなのだろうか。そんな不安がよぎる。
心当たりがない訳ではないのだけど。

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